1997年から福祉サービスは、行政がサービス利用を決める措置制度から利用者がサービスを選択・決定する契約制の導入に変わった。この自己尊重・自己決定の姿勢は一見、人当たりがよく人に優しいように見えるが、サービスの中に人間が組み入れられた瞬間、人は機能としての存在となる。
これは新自由主義と相性がよく、安倍政権時代にはアベノミクスという言葉に飲み込まれ、福祉を経済に組み入れる流れを作った。
これがすべて間違っているわけではないが、長期政権になると、否応なしに企業側はそれに従う対応が迫られた。
障害者の法定雇用率に達していない企業に課する納付金はその仕組み故に人をモノ扱いしてしまうのも容易い。
社会的弱者への理解に向けて福祉現場を少しでも見ていたならば、安倍政権の政策は変わっていただろうかと考えてみたが、オリンピック・パラリンピックには言葉が浮かび上がってきても、市井の弱者には心動かなかったのだろう。
ちょっとしたメッセージが現場を動かす力になるのは確実だったのに、機会を逸したような気がしてならない。
2014年に障害者権利条約を日本が批准し、インクルーシブ教育の必要性が浮かび上がったことを受けて2017年4月に当時の松野博一文科相がメッセージを発した。
「今後は、障害のある方々が生涯を通じて教育、文化、スポーツなどの様々な機会に親しむことができるよう、教育施策とスポーツ施策、福祉施策と労働施策等を連動させながら支援していくことが重要であり、これを『特別支援教育の生涯学習化』と表現する」。
これが今、現場を動かしている。
私が障害者の生涯学習を推進するのはこの言葉がよりどころになっているし、全国で障害者の「学び」に向けて奔走している方々の希望でもある。
この希望の取組へ対して安倍首相が接近する様子はなく、障害者の学びにしても、福祉支援にしても、現場の支援者の創意工夫の中で時代に合った支援を行ってきたのがこの長期政権時代だ。
この努力を国は見てほしい、
長期政権のトップが沈黙した関心のない福祉から今後は、インクルーシブなコミュニケーションにより、新しい福祉や支援やインクルーシブ教育が拓かれる時代にしたい。
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