【書評】なぜスポーツ選手は「居心地の悪い言葉」をよく発するのか

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最近「SNS疲れ」という言葉もありますが、読みたくないものを読まなければならないことに対するストレスは、人間にとって大きな負担です。そんな身の回りの「気に食わないこと」をズバッと斬ってくれる本がありました。今回の無料メルマガ『クリエイターへ【日刊デジタルクリエイターズ】』で編集長の柴田忠男さんがレビューしているのは、自身を「偏屈人」と称する作家・林望氏の熱くて切れ味の良い一冊です。

偏屈BOOK案内:林望『おこりんぼう ―ひと言申し上げたい』

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おこりんぼう ―ひと言申し上げたい

林 望 著/春陽堂書店

この本はある法人の機関誌に連載した「わからずや漫筆」を加筆しまとめたものである。「わからずや」いいねえ。偏屈とかへそ曲がりとか言われるわたしだが、気むずかしいところはない、怒りん坊でもない(と思う)。粗忽ではある。冷淡といわれることもある。長年「変な人」と言われ続けたのは事実だ。

リンボー先生は嫌なことは嫌なので、結果として金儲け的には損ばかりしてきた。「坊ちゃん」みたいな人かも。テレビの世界が嫌いだからコミットしない。そこには子供時代から一貫した信念があるからだ。まさに自らの「偏屈」を体現する人。だから世界は狭くなるかもしれないが、そのぶん自分の好きなことについての知見は広く深くなる。現代社会との繋がりが希薄になっても平気。

日々そういうふうに偏屈に構えて、ゴルフもテニスも水泳も自転車もなにもやらない。ただただ真面目に一日一万歩は欠かさない。「好きなことは好きだから一生懸命やる。嫌いなことは一切やらない。そのメリハリが大切だし、またそういう人が増えれば、却って世の中は円滑にまわっていくのではあるまいかと考えている」。経済的裏付けがあるから、お気楽にそう言えるんだと思うが。

「居心地の悪い言葉」というのがある。スポーツ選手などが発する「元気を与えたい」というような言葉を聞くと「ずいぶん傲慢な言い方をするなあ」と思わずにはいられないという。まったく同感である。「与える」とは目上の者から目下の者に対してなにかを取らせることであって、その逆には使えないのである。選手も上の者も多分知らないからこうなるのだろう。スポーツ馬鹿が。

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