さらに甚だしいのは、スポーツ選手が「国民に勇気を与えられるようにがんばります」とまで言う。悪気はないのだろうが、尊大である。要注意である。その僭越、無知ぶりはスポーツ界の上の者が正しい指導を怠っているからだろう。「国民に大いに元気と勇気を与えた」のは昭和天皇という特別の存在だけである。また「○○選手からたくさんの元気をもらいました」という表現も変だ。
「勇気とか元気とかいうものは、人からもらったり与えられたりするものではなく、もっと主体的な努力とか練習とかによって、苦しみながら自信を付けていくと、結果的に勇気が湧き、元気が出てくる、そんなものではないかと思うのである。一時的に、応援よろしくあって、みんなで大声を出して元気になったように見えても、それは一時的現象であってかりそめの元気や勇気に過ぎぬ」
わたしが普段、なんだあの言い様は、ばかばかしい、いまいましいと思っていたことを、理路整然、きれいさっぱり解消してくれた。「こういう偏屈人の私が、世の中の在りようにどうしても一言申したい、そういう思いで書いたのがこの本だから、読みたい人は読んでいただきたいが、読みたくないひとは読むに及ばない。世の中は、いずれそうしたものである」わたしは読む!
編集長 柴田忠男
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