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【第8回】年齢を重ねると好みが変わる? 加齢に伴う「ココロの変化」春日武彦✕穂村弘対談

老いていくことは死に近づいていくと誰もが思うことですが、本当にそうなのでしょうか?老いと死は近いものではなく、実際には別物だと語るのは、精神科医の春日武彦さんと歌人の穂村弘さん。2人は「俺たちはどう死ぬか」をテーマにした対談の中で、老いの向こうに死があるのではなく、生の状態から死の状態へ、最後の瞬間一気に行ってしまうものだと説いています。

春日武彦✕穂村弘「俺たちはどう死ぬのか? 」

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 「老い」と「死」を隔てる、大いなる断絶

穂村 少し前に短歌界の重鎮、岡井隆さん(1928〜2020年)が亡くなったんだよね。

春日 塚本邦雄(1920〜2005年)、寺山修司(1935〜83年)と共に日本の前衛短歌運動を推し進めた人ね。

穂村 寺山は早くに死んじゃったし、塚本さんも00年代にこの世を去って、最後に岡井さんが1人残った。彼は結社「アララギ」出身なんだよね。お父さんが斎藤茂吉(1882〜1953年)の門下だったから。子どもの頃、家に帰ると、自分の部屋から「坊っちゃん、お部屋をお借りしましたよ」とか言いながら昼寝してた茂吉がのっそり出てきたりすることがあったらしい。そういう話を生前いろいろ聞かせてもらったな。

春日 それって、ほとんど「短歌の歴史」に触れる感覚だったんじゃない?

穂村 そうなんだよ。僕らの世代にとっては、近代の歌人なんて完全に教科書の中の人なんだよね。それが間に1人挟むことで繋がってしまうというのは、やっぱり驚きだったな。「ああ、この人は茂吉と喋ったことがあるんだ!」って。でも岡井さんが亡くなってしまったことで、近代の歌人たちとの縦の関係が失われてしまったように思う。早逝した寺山修司なんかも含めて、僕らと過去の人たちとを繋いでくれていた最後の生身の存在がいなくなってしまったことで、先人たちが歴史の額縁の中に吸い込まれてしまったような不思議な感覚があったな。まさに、「1つの時代が終わった」という慣用句の通りだね。

春日 岡井さんの最後の歌はどんなだったの?

穂村 印刷された最後の作品は、歌誌『未来』に発表した「死について」という、もう直球なタイトルの連作だった。そのうちの1首に〈ああこんなことつてあるか死はこちらむいててほしい阿婆世(あばな)といへど〉というのがあってね。「あばな」というのは、「あばよ」の方言らしいんだけど。死がもう間近に迫っているけど、それでもやはり死は自分に背を向けていて、その素顔を見せてくれない、みたいな歌だよね。僕らもそれなりの年月を生きてきて、若い頃には分からなかった「老い」というものが、5%、10%みたいな感じで徐々に、分かるようになってきたじゃない? それに従って、「死」というものの素顔が何%かずつでも見えるようになっていくのかなという予感があったんだけど、岡井さんのこの歌を読んで、必ずしもそういうものではないのかもしない、と思えてきた。老いと死は近いものだと思っていたけど、実際には別物なんじゃないかな、って。

春日 それは「老い」が、ある種「死の予行演習」みないなものになっているんじゃないか、という予想だよね。確かにそう思いがちではあるけど、実際のところ、たぶん似て非なるものだとは思うんだ。

穂村 死に、老いという形で徐々に肉薄していくわけじゃなくて、生の状態から死の状態へ、最後の瞬間一気に行ってしまうような感じなのかなあ。つまり、体が衰える感覚に馴染んでいって、最終的に「……98、99、100(死)」となるんじゃなくて、「0(生)→100(死)」といきなり飛んでしまうイメージ。

春日 俺はそっちに近いような気がする。根拠を問われても困るんだけどさ。

穂村 前にこの連載で、英語学者・評論家の渡部昇一の『95歳へ!』って本の説で、人は徐々に死に馴染んでいくという話をしたじゃない? 95歳になると、「95%の死」とまではいかなくても、だいぶそれに近いところまで行くんじゃないか、という考え方ね。「死の恐怖」を構成する成分は、未知性がそのほとんどを占めるだろうから、既知のものだと思えればそこまでは怖くなくなるんじゃないか、と。でも先生はそうじゃなくて、いくら体が老いて弱ってきても、死を既知なものとして認識し、それによって安心することはできないという考え方なんだね。

春日 そうだね。老いの向こうに死がある、というよりは、全然それとは異なる断絶があると思っているよ。

ある日、ネギが好きになっていた衝撃

穂村 前回は「晩節を汚す」というテーマで、人間の変化について話したけど、もうちょっとそこを掘り下げてみたいな。さっき「死」が未知だという話をしたけど、考えてみると「老い」に伴う人間の変化も、本人的にはけっこうな未知なる体験だと思うんだよね。例えば、歳を取ると味覚が変わるじゃない? 僕はこれがかなりショックだったのね。子どもの時は、料理の中のネギが単なる障害物にしか思えなかったけど、今はネギが大好きなんだよ。あんなに嫌いだったのに。

春日 ある時、気付いたら「あれ、美味しい……」ってなってた感じ?

穂村 あまりにショックだったから、「美味しい!」と思った瞬間のことをよく覚えてるよ。それは自分で気づいたパターンだけど、人から指摘されてハッとなったこともあるな。東直子さんという同世代の歌人がいるんだけど、ある日電話で短歌の連作について真面目に話していたんだけど、ある瞬間ごく短い間が生まれて、お互いふっと黙ったんだよね。そしたら、彼女が急に「ぽっちゃり型も好きになってきたとか?」って言うのよ。

春日 その時、別にそういう話をしてたわけじゃないんでしょ?(笑) 唐突に?

穂村 そうなの。それまでの文脈とまったく関係のない話だったから、「ん?」ってなったんだけど。でも僕は、確かにずっと、どちらかというと華奢で繊細なタイプの女性がいいなと思ってたんだよ。で、東さんも付き合い長いし親しいから、その好みを薄々感じ取っていたんだろうね。

春日 でも、なんで突然その話になったの?

穂村 たぶん、短歌の話をしている中で、非言語的な情報が徐々に彼女の中に蓄積されていったのかもね。彼女って、そういうタイプのクリエイターだから。それが猿酒みたいに、自然にだんだんと発酵していって、僕の短歌の話を聞いている時に突然「どうもこの人は今、ぽっちゃり型もいけるようになっているんじゃないか」と思うに至った、みたいな(笑)。で、そう言われた瞬間、僕は「え、いやいや!」って否定しかけたんだけど、気が付いたんだよね。いや待て、そういえば……確かに昔より、自分はぽっちゃり型も、大きくて強そうな人もいけそうだな、って。

春日 歳を取ると、ストライクゾーンは広がると思うよ(笑)。俺もそうだったもん。少なくとも年齢とかはあまり問わなくなった。

穂村 え、これはそういう話なの? 歳を取るとフォーカスが緩むみたいな? 会社員時代に18、19歳の男性新入社員と雑談してて、「年上の恋人はどう?」みたいな話になったのね。彼が「年上、大好きです」って答えるから、「ああそうなんだ。じゃあ25歳とか」って言ったら、いきなり真顔になって「それは無理」みたいな反応でさ(笑)。彼にとっての25歳はものすごく遠い星だったみたい。

春日 思い返せば、小学生時代の1、2歳差とかも、ものすごく大きかったじゃない。すっごく大人に感じられてさ。でもそういう感覚って、歳を取るとどんどん変わっていくし、ある程度まで行くと、もはや歳の差とかあまり関係なくなっていくからね。なんかこう、遠近法みたいな感じでさ(笑)。

うっかり八兵衛は、助さん・格さんになりたい?

穂村 歳を取って自分としてはいろいろと変わってきているという自覚があるんだけど、どうやらまわりからの見られ方はそんなに変わってないっぽいんだよね。例えば、人生の岐路に立たされた人から相談をもちかけられたことはほぼ皆無。人に頼られるということがまったくない。

春日 ああ、歳を取っても、ベースとなるキャラの部分は変わらないわけね。万年「この人に頼っても仕方がない」キャラ(笑)。

穂村 その問題でいうと、テレビとかを見ててずっと気になっているのが、いわゆる「下っ端キャラ」なんだよ。ドラマや映画の場合、主に風貌とか喋り方で役割が決まっちゃうでしょ。例えば、『水戸黄門』のうっかり八兵衛役の高橋元太郎が「助さん・格さんをやりたい!」って一念発起したとしても、黄門様の脇を固める彼らは顔が濃くて長身で筋肉質でしょ。八兵衛は真逆じゃない? 元々のキャラから抜け出せない僕は、どうしても彼に感情移入してしまうんだよね。どういう活路があるのか? どういう脱却の仕方があるのか? って。

春日 悪役商会的な、ああいう居直り方をするんじゃなくって、あくまで脱却したいんだね。

穂村 その中間もあるよね。超コワい系にまでは行かない、俳優の川谷拓三(1941〜95年)みたいなバランスの人。下っ端キャラでもあり、悪役的でもある、みたいな。でも八兵衛の境地まで行くと、キャラ変して悪役にもなれなさそうだし。

春日 でもさ、八兵衛こと高橋元太郎は、もともとスリーファンキーズのメンバーなのよ。つまり元アイドルグループの人なんだよね。ということは、そこから脱却して八兵衛になるという、ある意味途方もない変遷をやってのけた人とも言えるわけ。

穂村 え、そうなの。知らなかった。それで思い出したけど、昔家でテレビを見てて谷啓が出てくると、その度に父親が「あの人は日本で1番トロンボーンの上手い人なんだ」って言ってたな。そういう「実は」は格好良いね。

春日 彼はかつて、雑誌『スイングジャーナル』のトロンボーン部門でトップだった人だからね。

穂村 なぜ父がそういう反応をしていたかといえば、谷啓の見た目や存在感と、その「実は」の凄さの間にギャップがあったからだよね。そして、それが彼の魅力を引き立てていた。

春日 いい意味でのギャップってやつだね。

穂村 僕には、そういうのがないからなぁ。ギャップを求めてワイルドな振る舞いとかしたら、「あんなふにゃふにゃしてるのに実は暴力男だった!」みたいにマイナスにしか作用しないもの。

春日 穂村さんもいろいろ大変なんだねぇ(笑)。

「憧れは変えられない」問題

穂村 その点では、お医者さんはいいよね。しかも精神科医なんて、いかにも知的でイメージもいいしさ。「あの人はああ見えて医者なんだよ」っていう切り札みたいな。

春日 ちなみに俺はね、妄想を持ったばあさんを扱うのは日本一だよ。この歳でもね、孫みたいに接することができるから。

穂村 甘えるの? 懐に入り込む?

春日 そういう感じだね。出されたお茶は絶対飲むしね。訪問に行くと、2回に1回は帰りに大袋入りのお菓子を持たされる(笑)。

穂村 つまり、先生はお医者さんであることと、その柔和な雰囲気を活かしているわけだね。キャラを活かしている。そうじゃなくて、自分とはまったく違うキャラを目指すのは、やっぱりキツイと思うんだよ。八兵衛が助さん・格さんを目指すのは。でも気をつけないと、そういうことをやりかねないと思うのよ。

春日 柄でもないことをやっちゃいそうなのね。でもさ、八兵衛が助さん・格さんを目指すのって、ある意味ありがちな憧れじゃん。俺だったら、いっそ人が思いもつかない方向に活路を見出そうとするだろうな。エスペラント語の権威とかさ(笑)。なんにせよ、自己評価というのは他者の評価とは違うわけで、そこが思いっきりズレているとしんどいね。

穂村 でも自己評価とは別に、憧れは変えられない、ということもあるわけじゃん。だって、格好いいと思っちゃったら、それはもうどうしようもないんだもの。僕は若いころショーケン(萩原健一 1950〜2019年)とか松田優作(1949〜89年)みたいになりたいと思ってて。友人に忠告された。同じ格好良い人でも、まだ路線的に何とかなりそうな、上位互換の余地がありそうなところを目指すべきだ、って。松田優作じゃ、路線もなにもすべてが違い過ぎててどうしようもないだろ、って言うんだよ。

春日 その意見には納得できたの?

穂村 できなかった。いや、そんなことは分かってるよ、僕だって(笑)。それでも憧れてしまうし、むしろかけ離れているからこそ憧れてしまうものなんだよ。

春日 でもさ、超美形な男が晩年残念なルックスになることも少なくないじゃない? 後ろ向きな考え方として、そっちに期待するという道もある。むしろ、若い時美しすぎると、歳を取ってからのギャップは往々にして激しくなるからさ。骨格からして違うと思っていた沢田研二が、ある時点から自分寄りのルックスになってきたのを目の当たりにして、いろいろと感慨深いものがあったね。

穂村 憧れの対象が向こうから近づいてきた!

春日 まあ、自分が格好良くなったわけじゃないから、そこに喜びを見出すべきかは微妙なところだけど。

穂村 そういうのを目の当たりにして、先生はどんなふうに思うの?

春日 ざまあ見やがれ、ってね(笑)。「ねえねえ、今の気持ち、どう?」って聞いてみたくなる。

穂村 意地の悪い笑顔だなぁ……(苦笑)。

(第9回に続く)

春日武彦✕穂村弘対談
第1回:俺たちはどう死ぬのか?春日武彦✕穂村弘が語る「ニンゲンの晩年」論
第2回:「あ、俺死ぬかも」と思った経験ある? 春日武彦✕穂村弘対談
第3回:こんな死に方はいやだ…有名人の意外な「最期」春日武彦✕穂村弘対談
第4回:死ぬくらいなら逃げてもいい。春日武彦✕穂村弘が語る「逃げ癖」への疑念
第5回:俺たちは死を前に後悔するか?春日武彦✕穂村弘「お試しがあればいいのに」
第6回:世界の偉人たちが残した「人生最後の名セリフ」春日武彦✕穂村弘対談
第7回:老害かよ。成功者が「晩節を汚す」心理的カラクリ 春日武彦✕穂村弘対談

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春日武彦(かすが・たけひこ)
1951年生。産婦人科医を経て精神科医に。現在も臨床に携わりながら執筆活動を続ける。著書に『幸福論』(講談社現代新書)、『精神科医は腹の底で何を考えているか』(幻冬舎)、『無意味なものと不気味なもの』(文藝春秋)、『鬱屈精神科医、占いにすがる』(太田出版)、『私家版 精神医学事典』(河出書房新社)、『老いへの不安』(中公文庫)、『様子を見ましょう、死が訪れるまで』(幻冬舎)、『猫と偶然』(作品社)など多数。
穂村弘(ほむら・ひろし)
1962年北海道生まれ。歌人。90年、『シンジケート』でデビュー。現代短歌を代表する歌人として、エッセイや評論、絵本など幅広く活躍。『短歌の友人』で第19回伊藤整文学賞、連作「楽しい一日」で第44回短歌研究賞、『鳥肌が』で第33回講談社エッセイ賞、『水中翼船炎上中』で第23回若山牧水賞を受賞。歌集に『ラインマーカーズ』『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、エッセイに『世界音痴』『現実入門』『絶叫委員会』など多数。
ニコ・ニコルソン
宮城県出身。マンガ家。2008年『上京さん』(ソニー・マガジンズ)でデビュー。『ナガサレール イエタテール』(第16回文化庁メディア芸術祭マンガ部門審査委員会推薦作品)、『でんぐばんぐ』(以上、太田出版)、『わたしのお婆ちゃん』(講談社)、『婆ボケはじめ、犬を飼う』(ぶんか社)、『根本敬ゲルニカ計画』(美術出版社)、『アルキメデスのお風呂』(KADOKAWA)、『マンガ 認知症』 (佐藤眞一との共著・ちくま新書) など多数。

漫画&イラストレーション:ニコ・ニコルソン
構成:辻本力
編集:穂原俊二
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