ホンマでっか池田教授が年の瀬に考える「人の役に立つ」って何だ?

 

いずれにせよ、役に立つ人間になれ、と支配層や御用学者がプロパガンダを始めたときは、支配層の利益のために働けという謂いであることは間違いない。太平洋戦争の少し前と戦争中は、戦争を遂行することが、日本の支配層にとっての一番の関心事であったので、男は頑健で上官の命令を素直に聞く兵隊になることが、最も役に立つことであった。女は、男の子を沢山生んで、立派な兵隊になれるように育てることが役に立つことであった。

発足したばかりの厚生省が1939年に「結婚十訓」なるものを発表したが、その最後の項目は「産めよ育てよ国のため」である。それ以外にも、「心身共に健康な人を選びましょう」「悪い遺伝のない人を選びましょう」「なるべく早く結婚しましょう」といった項目が並んでいる。

当時は、寝たきりで10年も生きている介護老人などはほとんどいなかったので、役に立たない人間は、兵隊として役に立たない障害者、病者などであり、これらの人々を断種して、病者を増やさないようにするために、ナチスの「遺伝病子孫予防法」を模した「国民優生法」を1940年に制定して、この法律に基づき、47年までに538人の主として精神障害者の人が断種された。

さて、戦争が終わって、日本が本格的な資本主義社会に突入すると、兵隊ではなく、安い給料で働く労働者として、あるいは消費者として、さらには国民年金や厚生年金の納付者として、ある程度の人口を確保したい支配層は、少子化は困ると言い出したわけである。

しかし、子供をたくさん産んで育てても、その子供たちが大人になって働き口がなければ、資本主義の論理からすれば、生産性がないわけで、今の状況を鑑みるにそうなる可能性の方が高そうだ。「LGBTは生産性がない」とアホ丸出しのことを口走った議員がいたが、例えば台湾のオードリー・タンのように高い知性を持っていれば、LGBTでも、沢山稼いで税金も沢山納めるわけだから、資本主義の論理から言えば、生産性は高い。

右も左も、少子化は悪いことであるかのような議論がまかり通っているが、人口が減れば、人一人当たりの資源量は増えるわけで、生態学的な見地からは、少子化は歓迎すべきことではあっても、忌避すべき理由はない。少子化が困るというのは現在のような資本主義がしばらく続くという幻想に基づく話であって、長い目で見れば、少子化はいいことに決まっている。

人口が増えて、この人たちが高齢者になれば、資本主義の論理からすると生産性のない人間になるわけだから、少子高齢化は困るという理屈は、未来のことを考えれば矛盾しており、現時点しか見ていない短絡的な意見なのである。介護老人は生産性がなく、国の税金を使って生き延びている「役に立たない」人間だから、なるべくなら早く死んでもらいましょうという意見を言う人がいるが、いずれ自分も役立たずの年寄りになるということが分かっていない。

あと20年もすれば、ほとんどの労働はAIに任せられるようになり、大半の人は失職し、資本主義の論理から言えば、生産性のない役立たずの人間になる。介護老人は社会のお荷物だから安楽死させた方がいいと言っている人も、いざ自分が健康なうちに社会のお荷物になったら、喜んで安楽死するとは言わないだろう。(メルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』より一部抜粋)

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