池田教授が憂う、大川小学校の惨事と重なるワクチンなき五輪強行の今

 

石巻市教育委員会の関心は「(大川小の児童が)避難できなかったのは仕方がなかったことにしたい」「亡くなった教員や教育委員会が責任を負わないで済むようにしたい」ということに尽き、これに忖度した検証委員会の関心も全く同じであったというのが西條の分析である。

「山に逃げようと訴えた児童がいたことをなかったことにする」「複数の教員が山への避難を訴えたという証言をなかったことにする」「1分で簡単に逃げることができた裏山の存在をなかったことにする」「根拠となる調査記録、報告書、エビデンスを、吟味できないように隠蔽したり、不都合な事実を削除したりした」等々といったもので、組織防衛と責任回避と事なかれ主義に支配されているという点では、責任を取るのが嫌で、裏山への避難指示をためらった大川小の指導者の心情と軌を一にする。

他にも本書の論点は多岐にわたるが、私の関心に引き付けていくつか私見を述べたい。たびたび津波に襲われた三陸地方には「津波てんでんこ」という標語がある。「津波が来たら、取るものもとりあえず、肉親にもかまわずに、各自てんでんばらばらに一人で高台に逃げろ」という意味だ。大川小学校でも地震の直後、一部の児童たちは裏山へ向かっていたというが、6年の担任に止められて校庭に引き返している。学校組織の論理としては「勝手なことはするな」ということだろうが、勝手にさせておけば少なくともこの児童たちは死なずに済んだことは確かだろう。

私は都立上野高校に通学していた頃、受けたくない授業があると勝手にさぼっていたし、残りの授業は全部受けたくないと思えば、勝手に早退していた。私たちは自主早退と言っており、早退届などは出さなかった。そもそも早退届なるものがあるかどうかもよく知らなかった。それでも、高校は崩壊せずに存続した訳だから、高校に雇われてもいないのに、勝手にするなという理屈が私にはよく分からない。

学校管理の論理としては、災害が起きたとしても、一人の犠牲者も出してはならないという建前があるのだろう。そのためには児童生徒を整列させて点呼を取り、全員安全な場所に避難させるという話になるのだろうが、大川小の事故のように安全だと思っていた場所が実は極めて危険な場所だった場合、ほぼ全員が犠牲になるわけで、この場合は一人の犠牲者も出すことなく、という完璧主義が裏目に出たわけだ。

大川小を襲った津波にしても、校庭に避難する間もなくいきなり襲ってきたら、かなりの数の児童は裏山へ逃げたはずで、50分もの時間的余裕があったことがかえって命取りになったとも考えられる。地震発生から津波到達まで3~5分しかなく、津波警報が間に合わなかった1993年の北海道南西沖地震の奥尻島のようなケースであれば、教職員、児童のほとんどは一番近くの高台である裏山に逃げたに違いなく、犠牲者の数は遥かに少なくて済んだろう。

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