今の日本は「衰退途上国」。在米作家が断言した根拠と4つの大問題

 

今回は4つお話をしたいと思います。

1つ目は、全体が縮小のトレンドに支配されている一方で、発生する格差が見えにくい。つまり「格差が可視化されない」という問題です。衰退の速度には差がある場合に、格差というのが複雑に入り組んだ形で出てきます。つまり、日本社会あるいは日本全体が同じような縮小率で経済衰退しているのではなく、その縮小のトレンドには「まだら」がある、つまり業種や地域、コミュニティによって差が生まれます。その差というのが、可視化「されない」ことで何が起きるのかという問題は重要と思います。

2つ目は、豊かさを前提とした制度が、支えられなくなるという問題です。経済成長に伴って、日本だけでなくあらゆる国家が福祉や安全に関する規制を強化することで、住民の安全を確保してきたわけです。その制度を維持するコストが支えられなくなって行く中で、公共サービスを畳むことは可能なのかという議論です。

3つ目は、グローバル化する国際経済の中で、一国だけが独特の縮小トレンドに入って行った場合に周辺国や、関係の深い国との間では何が起きて行くのかという問題です。つまり日本だけが縮小トレンドを強めて行った場合に、そこだけ気圧の低い空間があれば、そこに風が吹き込むわけですが、経済の場合はどんなことが起きるのかという点です。

4つ目は、これは少し違う次元の問題ですが、衰退に伴う文化的な現象ということです。例えば明末の中国、19世紀末のウィーン、大恐慌直前のアメリカなど、文明が大きく崩壊してゆく際には、文化の爛熟が見られました。崩壊や衰退に伴う、健康ではないが一種の非日常的な狂躁や、過度の沈潜といったものが優れた文化として結晶するという現象が一般的に見られると思います。現在の日本の場合は、それは「何か?」というのは大きなテーマと思います。

前置きの要約はそのぐらいにして、本論に入りましょう。

まず、1つ目の「衰退の中の格差が可視化されない現象」についてです。アメリカというのは、格差の可視化されやすい社会です。まず、居住区の成り立ちと雰囲気が人種、階層を反映しているということがありますし、買い物をする店も、通勤に使用する交通機関も格差を反映しています。

例えば、食料品のスーパーにしても、地域密着の大規模総合スーパーがある一方で、富裕層向けにはオーガニックやニッチ商品の食品スーパーがあり、反対に欧州系の激安スーパーがあるなど、市場の階層による分化が起きています。交通機関の場合はもっと露骨で、階層の順に自家用車、郊外鉄道、地下鉄・バスとハッキリ分かれています。パンデミック下の現在は、その上に「知的労働イコール在宅勤務」というのが定着して、益々階層分化が可視化されている状況です。

ですが、日本の場合はかなりの富裕層でも激安な店があれば、わざわざ足を運ぶし、そもそも大都市圏の通勤は電車一択ですから、全く格差が見えません。例えば、午前6時台の山手線であれば、夜勤明けの人と、早出で欧州市場対応の金融関係者などが混在していますが、男性も女性もそれなりにビジネスルックで乗車していると見分けがつきません。例えば、早朝ジムで汗を流す(コロナ前の話ですが)富裕層などは出勤前にカジュアルなスポーツ・アウトフィットであり、反対にネクタイを締めた人が厳しい条件の派遣契約だったり、見かけでは逆転現象があったりもします。

居住区に関してもそうです。例えば港区とか「なにわ筋」のタワマンというのは、確かに富裕層向けかもしれません。では、階層による居住地分化が進んでいるかというと必ずしもそうではありません。23区北部にしたって、ミナミの近辺にしたって物件が良ければ富裕層は住んでいます。反対に、成城学園とか田園調布、芦屋の六麓荘とか以前は高級住宅街とされたエリアの場合は、相続で分割の圧力が進み、条例で必死に一軒辺りの規模を守る規制で対抗しているわけです。

例えば、コンサートやイベントのチケット転売禁止という問題があります。実際は、経済格差が拡大しているのでアイドルグループの大規模なコンサートのチケットがプラチナ化してもおかしくないわけです。事実、規制をしなければ転売でそうした価格差が形成されるかもしれません。

ですが、仮に全部のチケットがプラチナ化してしまうと、マスのファンは離れて行きます。そうすると全国ブランドの商品のCMに出て地上波で稼ぐというビジネスモデルが成立しなくなります。ですから、チケットの価格は市場原理を走らせるのではなく抑えておいて、転売禁止という規制でそこに重しをする必要があるわけです。その結果として、実際は広がりつつある購買力の格差が見えにくくなっているのです。

この問題に関しては、相当の富裕層になってもアイドルのコンサートに行きたいという消費行動が前提となっています。ということは、カルチャーの分化は極めて限定的ということです。これは、日本で昔からある、政治家も社長も音楽といえばカラオケで演歌と決まっていて、海外要人との文化談義などは皇居に丸投げという伝統がまだ続いているからかもしれません。

いずれにしても、衰退に伴う格差の拡大が可視化されないという現象は注目に値します。そのために社会問題も可視化されず、従って対策が遅れるという問題はあります。そうではあるのですが、衰退がどんどん加速し、これに伴って格差も拡大しているのに、それが社会的には可視化されない、されても限定的だということは、この社会が衰退に対して見事に対応している、あるいは抵抗しているという意味はあるように思います。

特に衰退がこれだけ加速する中で、奇跡的に治安が保たれているというのは、銃規制ということもありますが、やはり格差が可視化されていないということが大きいと思います。

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