2つ目の制度の問題は、これは厄介です。経済成長の結果として達成した、安全や快適性のための規制や基準が、高いコストとなって社会に負荷をかけている、そうした現象が少しずつ明らかになってきました。例えば、今回の新型コロナ対策もそうです。コロナを2類感染症に指定することで、様々な杓子定規が起きています。また建築における耐震規制もそうです。
こうした規制は、個々の事例に関しては人命優先の考え方からは必要なものですが、高額な社会的コストを伴います。ですから、日本が「発展」途上国の時には十分な規制はされていませんでした。それが豊かな社会を実現したことで、そうした規制を実現できるようになったわけです。ですが、その豊かさが「こぼれ落ちて」行く中で、そのように高価なコストを伴う規制を維持できるのかは、非常に難しい問題だと思います。
例えば、耐震性を考えたら、ある種の橋梁やトンネルは補修もしくは建設し直しをしなくてはなりませんが、そのコストが引っ張れなければ、安全のために通行禁止にしなくてはなりません。そうすると、その先にあるコミュニティは孤立してしまう、そういった問題も多く発生しています。
勿論、教科書的な回答としては人命のための規制や保護は、何が何でも維持して行くべきであるし、それは憲法によって保障されているということになります。ですが、それを維持する費用の財源がない場合というのは、想定がされていません。例えば、生活保護における「水際作戦」というのも、別に窓口担当者が鬼であるわけではなく、自治体の予算が有限である中で追い詰められたゆえの行為であるわけです。
経済衰退は厳然たる事実である中で、そのような制度維持に必要なコストをどうやって守って行くのか、あるいは柔軟性を持たせて全体を強靭にする手法はあるのかといった問題はまだまだ考慮が始まったばかりのように思います。