利用される“個人の不幸”。「GDPの高い国が幸せ」とは言い切れない根拠

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GDP世界3位でありながら、国連が発表している「世界幸福度ランキング」2021年版では149の国と地域中56位にとどまった日本。少子高齢化で今後ますますの国力低下が予想されますが、私たち国民は、現在感じている以上に「不幸せ」となってしまうのでしょうか。今回のメルマガ『j-fashion journal』ではファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんが、「人口が減少し、GDPが下落しても幸せになれる」との大胆な説を提示しその根拠を解説。さらに、日本は世界一精神的満足度が高い国になる可能性は十二分にあるとも記しています。

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精神的豊かさとGDP

1.「物質的豊かさ」から「精神的豊かさ」へ

これまでの人類の目標は、物質的豊かさ、経済的豊かさだった。エネルギーと機械の活用によって、人類は物質的な豊かさを手にした。そして豊かさを追求するために、個人も企業も、地域も国も活動してきたのだ。

お金があれば何でも買える。だから、物質的豊かさの実現のためにお金を稼いだ。しかし、いつしかお金を集めることが目的になってしまった。

お金を集めて、それを増やすこと。「何のために増やすのか」と問うと、「リスクへの備え」だという。こうなると際限がない。戦争のリスク、自然災害のリスク、敵国が攻撃してくるリスク等々、想像力があればリスクはいくらでも思いつく。

「欲望」と「リスクへの備え」の限度を設定するのは難しい。しかし、どこかで充足感を持たなければ、精神的な安定は得られない。

物質的豊かさだけを追求するには限界がある。地球はそれほど大きくないし、人類は増え過ぎているかもしれない。人類は目標の転換を迫られている。

人類の次の目標は何か。「物質的豊かさの追求」ではなく、「精神的・霊的な豊かさの追求」が新たな目標になるのではないか。

2.GDPは下がるが充足感は上がる

経済的豊かさ追求には「効率」が重要だった。短時間で大量の商品を生み出すこと。あるいは短時間で大量の商品を販売すること。短時間で大量の商品を運送すること。そして、無駄をなくすこと。「無駄」の意味は、あくまで経済的損失であり、精神的な損失ではない。

効率を追求するあまり、個人が犠牲になることは多い。逆に、個人の充足感を追求するとはどんなことだろうか。

例えば、大量生産のための「分業」から、「統業」に変えること。一つの工程だけを受け持つ分業は、作業効率は良いが、労働する個人の喜びや達成感か意識されることはない。

一つの商品を作る工程を一人で行うことで、個人の充足感は強くなる。例えば、大量生産のパン工場で働く人と、手作りパン工房で働く人を比較すれば、個人としてどちらが充足感を得られるかは自明だろう。

そもそも大量生産は経済効率は良いが、物流コストと廃棄が増える。また、生産してから消費するまでの時間が掛かるために防腐剤等の添加物を使用することが多い。

個人が自分の食べる分だけのパンを焼くなら、添加物は必要ないし、物流費も必要ない。廃棄されることもない。その上で作る充足感と食べる安心感を得られるのだ。

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