利用される“個人の不幸”。「GDPの高い国が幸せ」とは言い切れない根拠

 

3.グローバリズムと対立構造

いつのまにか、我々はGDPを上げるために生きるようになった。生存のための活動を自身で行わずに、誰かにお金を払ってやってもらう。そして、その人ができないことを自分がやってお金をもらう。そうやって、相互依存を高め、お金を回している。この体制の中ではお金なしで生活はできない。

それを世界に拡大したのがグローバリズムである。グローバリズムは国や地域で経済が完結することを嫌う。国際分業こそが効率的で正しいことだと教える。地域で経済が自立すると広範囲にお金が回らないからだ。

しかし、グローバリズムは世界的分業であり、全体をコントロールするのはごく一部の企業であり、大多数の企業は下請けとなる。そして、コスト競争を余儀なくされ、人件費の高い国では製造業が成立できなくなる。

日本はあらゆる製品を製造する能力と機能を持っていたが、グローバリズムの進展と共に多くの製造業者が淘汰された。原因はコストだけだ。コスト競争で技術と企業と産業が失われ、多くの人の職場と生活手段が奪われた。

個人にとってお金は幸せになるための手段だ。しかし、国際金融資本家やグローバリストにとっては、個人を不幸にしてでもお金を回して、自分たちの利益を得ることを優先する。したがって、彼らは全体主義国家を支持する。そして、資本主義国家と対立構造を作り、常に不安定要素を維持しようとする。リスクを演出して、お金を回すのである。

4.人口減少、GDP下落でも幸せになれる

GDPは単純に豊かさの指標ではない。GDPが高い国は、お金に依存し、リスクを高め合っている国だ。そしてお金を回し合っているので、確かに豊かではある。反面、お金を回すために、個人の不安を利用している。

人間に最も必要なのは、幸福感、充足感だとすると、これまでの価値観と経済の流れを転換しなければならない。お金に依存しない。対立構造を作らない。将来リスクを煽らない。今の生活に充足し、精神的豊かさを追求する。そして、人口が減少しても、GDPが下がっても良いと考える。

現代社会は、住宅と職場と娯楽の場所を区分した。しかし、テレワークが一般化すれば、自宅で働き、自宅で生活を楽しむようになる。積極的な引きこもり生活が奨励され、満員電車や会社の人間関係のストレスから解放されるのである。移動が減るので、GDPは減少するが、精神的な充足感は満たされる。

日本が人口減少に悩んでいるのは、生産者と消費者が減少し、国力が低下することである。しかし、GDPを下げて精神的満足を得ることが目標になるなら、人口減少も悪くはない。

日本は自然も豊かで、デジタルなインフラも整備されている。人口が減少し、分散して住めば、生活スペースを広く確保できる。

「世界一精神的満足度が高い国」になる可能性は十分に高いのである。

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