加害者は反省しないものだと思っていい
ここまでの対応をしてしまっている加害者はまず反省しないと思っていいだろう。そもそも、自らの行為を省みる環境がないのだ。結局、誰かのせいにして他罰的に物事をみることでしか自己肯定を得ることができないパーソナリティなのだろう。
そもそも、学校は「治外法権」ではない。確かに一部、治外法権ではないかと思える事件は起きているが、彼らのやったことは犯罪行為そのものであり、学校の処分以外に被害側が処罰を求めれば、未成年と言えどそれなりの記録が残るはずだし、大人がやれば一発アウトの犯罪行為である。
そうした状態に至っていながらも、まだ自己の行為を省みたり、我が子の行為を注意できないばかりか、介入した団体である我々や処分をした学校に抗議をしてしまうのである。
救いようがないとはこのことを言うのではなかろうか。
私は加害者の父親からも電話を受けているが、このメルマガのことや2021年6月現在も「やわらかスピリッツ」で連載中となっている「いじめ探偵」について言及され、ネット上で叩いてやると脅迫を受けている。
先日、東京都江東区のお弁当屋さんで暴れた客が問題となってニュースになっていたが、それと同様に「ネットで炎上させたるから覚悟しておけ!」とインチキな関西訛りの捨てセリフを吐かれたのだ。
一定数生じるアンチと妨害者
いじめ問題に係る団体の大半は「予防対策のみ」対応の相談を受け付けないものか、「相談カウンセリング」対応のお悩み相談の傾聴対応に分けることができる。
一方、直接的な介入をする団体というのは、ごく少数であり、実働している団体は指で数えることができるほどしか存在しない。
その上で、直接対応する団体の中でも、学校や教育委員会と被害者との折衝をメインにする「中立」派と被害側を擁護する「被害者」側に立つ団体に分けることができる。
その実、私は「被害者」側に立つことばかりが目立つだろう。実際は話し合いを円滑に進める作用を役割として担うこともあるが、全ての始まりは、被害側の保護者や本人からの要請を受けて介入をしていくから、やはり、被害側の味方になる。
犯罪を挙げる刑事さんが犯罪者に恨まれるのと同様に、私も案件対応をすればするほど一定数の加害関係者から恨みを買うことになるわけだ。
また、私自身がテレビに出たり、漫画の原案をしたり、雑誌の取材に応じる機会も比較的多くあると、その都度、一定数のアンチがまとわりつくことになる。
ある番組のディレクターさんがいうには、
「今回のテーマと全く関係のない話で、ああいう奴は取り上げるな。天下の○○局が、そんなにネタに困っているのか?情けない」
という抗議を受けたと話してくれた。この出演の際のテーマについて抗議の先の人物に質問をしても、それについては全く回答しないということであったので、これはきっと、私に挙げられたことのある加害者の関係者なんだろうと思ったそうだ。
こうなると、アンチというより妨害者になろう。
ただこの程度だと問題になりづらく、名のある企業である放送局は、「貴重なご意見ありがとうございます」と答えるのだ。
妨害者はそれでいい気になるのだろうが、この言葉を翻訳すれば「おい暇人、馬鹿言っていないで、さっさと終わらせてくれよ」なのである。
ただ共通することは、彼らに反省の余地はないということだ。誰かをいじめることは、その誰かに原因があって、自分は悪くないのだという歪んだロジックから抜け出すことができないのである。
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