中国の大誤算。五輪開会式「台湾」どころか自国選手団も放送カットの赤っ恥

 

一方の中国は、テンセント(騰訊控股有限公司)がネット配信しましたが、台湾選手団の入場行進をカットして別映像に切り替えたところ、中国選手団の行進まで配信しそこねてしまったそうです。中国らしい失敗です。

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以前から台湾の民間および、日本の台湾支持派などから、「台湾」を正式名称にすべきだという声は挙がっていました。しかし台湾政府関係者は、長い間、この問題について否定するか静観するだけだったのです。

正名運動は1950年代から始まっています。かつては「台湾 中華民国」という名称で、3回もオリンピックに参加しています。1964年の東京オリンピックでも台湾は「台湾 中華民国」名義で参加しています。

ところが1971年に国連のアルバニア決議により中華人民共和国が「中国の唯一の合法的代表」とされたことで、中華民国は国連を脱退します。以後、中華人民共和国と中華民国は、名称を含めてどちらが正統な政権かをさまざまな国際舞台で争うようになったのです。

同時に中華民国政府は、いかなる団体でも「台湾」を名乗るものはみな「反乱団体」だとして、圧力を掛けてきました。「台湾ライオンズクラブ」や「台湾語聖書」などの名称さえ「敵」とみなされました。

中華民国政府は中国人が主催し、いずれ中国大陸に反攻して中国を統一すると考えていましたから、「台湾」という中国とは別の国の存在を認めなかったのです。

1976年のモントリオール五輪では、カナダが「中華民国」名義での選手団受け入れを拒否、そのかわりに「台湾」名義を提案しますが、当時の中華民国はこれを拒否して参加をボイコットしました。

1979年に名古屋で開かれたIOCの会合で「チャイニーズ・タイペイ」としての参加が認められるようになりましたが、ここでも中国とのあいだで漢字表記は「中国台北」か「中華台北」かということで悶着となり、ついに1989年に両者合意のもと、「中華台北」に決まったというわけです。

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しかし、1988年に李登輝が総統となり民主化を進め、1996年に初の直接選挙を行うようになると、台湾人に「自分は中国人ではなく台湾人だ」という意識が芽生え始めました。そして2000年の民進党政権への政権交代、2016年の再度の民進党政権誕生を経て、「台湾人意識」はさらに大きくなっていったのです。

2020年の東京オリンピック開催が決まると、台湾人選手の国籍を「チャイニーズ・タイペイ」ではなく「タイワン」にしようと呼びかける運動が始まりました。この東京オリンピックに向けた「正名運動」の総責任者は、紀政という元オリンピック選手でした。彼女は台湾初の女性メダリストとして尊敬を集めています。また、3回のオリンピックに出場していますが、いずれも「台湾」名義(1回は台湾の別称である「フォルモサ」)で参加したそうです。

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ところが、20182年9月に「2020年の東京オリンピックですべての正式名称を『台湾』にするか」という国民投票が行われましたが、賛成45.2%、反対54.8%で否決されてしまいます。

しかし、今回の東京オリンピックで日本が「台湾」として扱ったことにより、当時の反対派も「『台湾』という名称だと競技に参加できなくなるという懸念が叫ばれていたので、仕方なく反対した」という声が多く挙がっています。

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台湾では多くのメディアがいまだ国民党の影響下にありますので、ネガティブキャンペーンによる脅かしで、「台湾」という名称使用が否決されてしまったわけです。今回の開会式は、そういった過去の事実を判明させると同時に、「台湾」という名称でも参加できるということを、日本側が示してくれたということで、台湾にとっては非常に大きな意味があるものだったといえるわけです。

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