消えた怪談番組。なぜ「お盆の風物詩」はTV放送されなくなったのか?

 

【社会的弱者の叫び】

以上の「カタルシス」効果も、快楽中枢を刺激することも、どちらも精神的な健康につながることであり、それだけでも「怪談」の効用は充分にあるのですが、日本の伝統的な怪談には、さらに、高度な精神性が隠されています。

それは「倫理的」なレベルのカタルシスと言えるかもしれません。ここでは「倫理」という言葉をごく普通の意味で用います。それは「善を求める道理」であり、「人の行動規範」となるものです。

江戸時代にヒットした怪談話は、『四谷怪談』であれ、『番長皿屋敷』であれ、『真景累ヶ淵(しんけいかさねがふち)』であれ、化けて出るのは皆「社会的弱者」であり、社会の底辺で踏みつけにされるような立場の人々です。

物語の被害者となるのは女性、しかも夫にひたすら尽くす「糟糠(そうこう)の妻」(貧しい時代から苦労を共にしてきた妻)であったり、武家への奉公人(今なら派遣社員)というような弱い立場の女性であったり、さらには、目の不自由な流しの按摩さん、といった人たちです。

酷い仕打ちに遭っても、今なら、「パワハラ」「モラハラ」「セクハラ」などで社会に訴えることもできるかもしれません。しかし、話は江戸時代のこと、彼らにいたっては「泣き寝入り」どころか、濡れ衣を着せられ、無礼討ちで斬り殺されたり、出世の邪魔だと毒殺されたり、長年コツコツと溜め込んでいたお金を奪われて殺されたり、というように、あまりにも理不尽な「非業の死」に追い込まれてしまうのです。

しかも、犯人たちには何のお咎(とが)めも無し。もちろん、社会体制をひっくり返すような「支援団体」も現れません。まさに、彼らは社会的矛盾の犠牲者です。

当時の善良な庶民は、こうした社会的矛盾に怒りを感じながらも、我慢をするしかなかったのです。いや、それだけではなく、気づけば、自分自身もいつの間にか弱者の犠牲の上に毎日の生活を営んでいる。もちろん良心が疼くこともあったでしょう。そうした彼らの「罪悪感」や「怒り」そして「共感」が、『四谷怪談』や『番町皿屋敷』、『真景累ケ淵』などの物語に「投影(project)」され、興業の大当たりを支えていたのです。

これらの怪談は、歴史の彼方で犠牲となった「社会的弱者」の「叫び」を代弁するものであり、社会倫理的な「抗議(protest)」に他なりません。日本の怪談における「精神性」の高さとは、人々の「倫理観」に再構築を迫るレベルにあるのです。

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