【怪談は現実の中にある】
ですから、先にお話ししたような、昭和の時代の「本当にあった怖い話」や怪奇特集なども、こうした江戸文化の伝統を引き継いでおり、弱者や犠牲者への共感と鎮魂に支えられていたように思えます。
しかし、平成の間に、こうした番組は影が薄くなりました。時代も変わったのです。現代では、むしろ、敢えて「社会的弱者」の立場に自分を置くことで、権利を主張したり、自分たちの政治的目的を達成しようとする人が増えました。
本当の「弱者」はむしろ、パワハラやらセクハラやらで訴えられた個人なのかもしれません。マスコミのあり方も変質し、今や、世論を誘導し、バックに控える国際金融資本などの利権を拡大するためには、無理矢理、白を黒と言いくるめるような、強大な社会的怪物と化してしまいました。先述の「社会的弱者なりすまし作戦」を支援(あるいは企画)しているのも、マスコミです。
ですから、こうしたマスコミの一端を担うテレビ局では、真の社会的弱者を救うことはできません。彼らの振り回す「倫理」や「正義」は、世界を支配する者たちが一般人民に押し付ける、都合の良い「行動規範」であり、個人をも世界をもより善くするようなものではありません。
ですから、昭和時代の「お盆の風物詩」がテレビから消えるのも当然のことです。
現在、「江戸文化」の伝統を引き継いでいる「怪談話」は、ネットの世界に探すことができるかもしれません。いわゆる「都市伝説」や「陰謀論」の中に、こうした伝統を引き継ぐものたちが、かろうじて生き延びています。
主流メディアが、ますます「支配する側」に都合の良い「世界像」を提供するようになってくると、人々は、それが「フェイクニュース」かもしれない、あるいは「都市伝説」に過ぎないと分かっていながらも、ネットに拡散された、それらの「怖い話」を面白がるようになります。彼らは、無意識にそれらの持つ、潜在的な重要性に反応しているのかもしれません。
「相次ぐ俳優さんや女優さんの自殺は、実は暗殺だ」とか、「新型コロナウイルスやワクチン接種は人工削減計画だ」、「誘拐された幼児たちが悪魔儀式で殺されている」、「誰もいないのに、ペッパー君が見えない誰かと話していた」というような都市伝説は、現代社会が抱える病理を象徴しているのでしょう。ですから、多くの人々は「まさか」と否定しながらも、「もしかしたら」と想像力を膨らませてしまうのです。
そして、本当に恐ろしいのは、つい昨日までフェイクニュースだ、陰謀論だと笑っていた話が、今日になると突然「現実」に変わってしまうという現象です。
たとえば、「新型コロナウイルスは武漢の研究所から流出した」という話は、最近まで「陰謀論」だと否定されてきました。しかし、亡命した中共の高官や科学者たちの話を総合すると、それが現実である可能性はかなり高くなっています。その後、具体的な証拠も積み上げられつつあります。
「事実は小説より奇なり」という言葉もありますが、現実に起きていることの方が、人々の想像力を超えてしまったとすれば、それはそれで、なかなか恐ろしいことなのではないでしょうか。現代では、「恐怖は現実の中にある」ということなのかもしれません。
笑って読むうちに、いつの間にか心理学的な知恵もついてくる富田隆さんのメルマガ詳細・ご登録はコチラ
image by: Shutterstock.com