8月8日、17日間に渡る熱戦の幕を閉じた東京五輪。200を超える国旗がはためき各国選手たちの笑顔が溢れる閉会式の光景は、五輪が平和の祭典であることを改めて認識させてくれるものでした。しかしそのテレビ中継を視聴し「悔しい気持ちを抱いた」と綴るのは、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」を運営する引地達也さん。引地さんはメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』で今回、多様性が表現された式典の情報を言葉で伝えきることができなかったメディアを批判するとともに、「責めないこと」と常に強調している自身がメディアを責める理由を記しています。
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東京五輪で何を伝えるか、が定まらないメディアの声
東京五輪の閉会式のテレビ中継を見ながら、だんだんと悔しい気持ちになってきた。
世界への視野を広げ、融和や多様性を考えられるよい機会のはずなのに、「伝えること」を託されたメディアは、その4年に一度の1秒1秒を無駄に浪費しているのではないかと思うくらいに、伝える言葉は何の情報も思いも持っていなかったようだ。
競技を終えてリラックスした様子で入場する多民族の選手たちと各国の国旗は私たちに世界の融和の可能性を示す貴重な時間。
それが実況の言葉に他国の文化や示された国旗の意味合いや、コスチュームのカラーリングの文化的背景にはまったく触れていなかった。
メダルを獲得した選手が競技中とは打って変わっての優しい表情でカメラに手を振っているのにも気づかない。
いろいろあった五輪だからこそ、未来に向けて国際理解への情報を示してほしかったのは私だけではないはずだ。
世界の国旗がそれぞれの国の人の手に持たれて一堂に会する機会はなかなかない。
多彩な色、そして形やマークなどが画面の所狭しと広がっている光景は華やかだ。
開会式ではこれから始まる競技への緊張があるが、閉会式はその緊張から解放された場であるから、どの表情も温和。
その表情を伝え、そして各国の色彩を解説するのにメディアにとってこれほどの舞台はない。
こんなことを私が訴えてしまうのは、五輪を国際理解の機会と捉えて、障がい者と市民の学びの場や子供向けの講義をこの3年間続けてきたからである。特に無観客になった五輪でせめてテレビ中継で多くの民族や国旗と国歌に出会ってほしいと思い、子供たちにもそんな思いで「学び」を提供してきた。
しかし、いざテレビ中継を見ていても、日本の外に広がる未知の世界への扉を開いてくれる言葉はあまりに少なかった。
その象徴が閉会式の実況中継だったのではないかと思う。
特に私が見ていた実況はアナウンサーの声を手話通訳者が忠実に訳していたが、情報が少ないから通訳者が手持無沙汰の様子だ。
画面には次から次へと国の情報が発信されている。
国旗だけではなく、国の違う有名選手どうしが記念撮影する様子。
五輪前から前橋市で合宿を続けた南スーダンの選手団の表情、難民選手団の様子、次回開催都市のパリの上空を飛ぶジェット機が吐き出すトリコロール。
めくるめく映像の中にどれほど貴重な情報が詰まっているのだろう。
国際社会の中で生きる自分を意識して、広い視野で活動したいと思う瞬間を与えるのもメディアの仕事のひとつ。
だから、わからないことに近づき、わかろうとして、今ある情報を最大限に迅速に伝えようとするエネルギーがわく。
それが社会の知識と教養を支えて、人々が生きる上での選択肢を増やしていくのだ。
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