ピアニストやヴァイオリニストが毎日毎日飽きもせず、練習に励むのは、演奏をするのが純粋に好きという事ももちろんあるだろうが、いい演奏をして演奏会で褒められたいという動機の方が大きいだろう。
学門や芸術の分野には、学者や芸術家の承認欲求を満たすべく様々な賞がある。賞を貰えるかどうかは、才能ばかりではなく運もあって、賞を貰えた人の方が貰えなかった人より、必ずしも優れているとは限らないが、普通は賞を貰えれば嬉しいだろうし、それを目的に頑張る人もいる。ただし、様々な政治的な配慮があって、この人がなぜ貰えないのだろうということもある。村上春樹はノーベル賞を貰えそうもない。別に悲しくもないだろうが。
自分に自信があって、評価してくれる人が一定数いれば、承認欲求は満たされるので、村上春樹ほどでなくとも、家族や組織(学校や会社)が自分の存在と価値を、ある程度認めてくれれば、承認欲求という観点からは、人は欲求不満にならなくて済む。
問題は、家族からも社会からも疎外されて、認めてもらいたいのに認めてもらえないと思っている人だ。先に述べたように、周りが全部自分と同じ農奴のような生活をしていれば、承認欲求で身を焦がすこともない。承認欲求が顕わになるのは、周囲の人々との比較において、羨望と嫉妬が起きるからである。自分も脚光を浴びているあの人のようにみんなに褒められたい。
先ごろ、NHKで放送された「NHKスペシャル 銃後の女たち~戦争にのめり込んだ“普通の人々”~」に関し、イギリス在住の作家・ブレディみかこが「エンパシーの搾取」をキーワードに戦争賛歌にのめり込んだ当時の「大日本国防婦人会」の女性たちの活動を読み解いている。
兵士への「エンパシー(相手の立場を慮る能力)」に基づき善意の活動をしていた女性たちを、当時の軍部が搾取して、国民を挙げての戦争に協力させたというのが、ブレディみかこの見立てである。私は放送を見ていないが(私は基本的にテレビを見ない)、関連している記事を読むかぎりでは、「エンパシー」よりも承認欲求をキーワードにして読み解いた方が実相に迫れると思う。
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