ホンマでっか池田教授が考察。人を衝き動かす「承認欲求」の生物学的正体

 

さて、人類が農耕を始めて、富の備蓄ができるようになると、人口は増大するが、貧富の差が広がって、格差は固定され、階級社会になってくる。指導者階級の人々は別として、大部分の農奴に近い下層階級の人々は狩猟採集生活をしていた時と違って、大勢の中の一人(one of them)となる。一番大事なのは生存することで、承認欲求は二の次になってくる。上の命令に従っているのが、生き残る最善の方途という事になったわけだ。

こういう状況では、自分をかけがえのない構成員として認めてほしいという承認欲求を顕わにするのは危険である。承認欲求が消え失せたわけではないが、承認欲求を顕わにするのはほとんどの人にとってはタブーになったのである。

さて、現在のように社会が複雑になってくると、承認欲求のあり様も複雑になってくる。幼い子どもは両親に承認されることで、人生最初の承認欲求を満たすことができる。幼い子を褒めて承認欲求を満たしてあげるのは、その子の将来にとってもとても大事なことだ。承認欲求に飢えていると、自分を承認してくれる人や組織がたとえいかがわしくとも、「自分のことを初めて認めてくれた」という喜びから、その人や組織のためにいきいきと働くようになる。

新興宗教にのめり込む人を見て、多少なりとも承認欲求が満たされている普通の人は、「なんで、あんな非科学的な教義を信じるのか、不思議だ」と思うだろうが、新興宗教にのめり込む人は、少なくとも最初は、教義を信じた故に信者になったわけではなく、承認欲求を満たしてくれたからこそ信者になったのである。暴力団のような反社会的な組織に入る若者も、自分を認めてくれる(と本人が思った)組織に初めて出会ってのめり込んで、そのうち抜けられらくなったのだろう。

もちろん承認欲求は悪の道の入り口ばかりでなく、科学や芸術の発展の原動力でもある。学者が寸暇を惜しんで思索に耽ったり実験に励んだりするのは、素晴らしい成果を出して、社会的な地位と人並み以上の収入を得たいという欲求もさることながら、同業者に認められたいという承認欲求の方が動機としては強いと思う。

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