無理して毒を吐く必要なし。炎上に頼らずインフルエンサーになる方法

 

しかし、毒を吐くのは「家族や親しい人の中」でだけ。メディアやネットで毒づくことはありません(ひょっとしたら毒が漏れているかもしれませんが)。むしろ、毒づく公言をしないために、日常で毒を吐いて、バランスを取っている感じです。

その理由を挙げてみましょう。

1.ネットで誰かを毒づけば、必ず当人に伝わる

ネットでの自分の評判を気にする人ほど、自分の名前で検索=エゴサーチをします。また、おせっかいな友人やファンも「こんな批判をされていた」と当人に知らせることでしょう。そこで罵詈雑言が知られて、無用な争いを生み、要らぬ恨みをかっても良いことはありません。

2.ネットでの毒の多くが、安全地帯からの匿名での一方的攻撃

ネットでは、匿名で自分が特定されない、攻撃されないのを良いことに、安全地帯から毒づく人が少なくありませんが、そんな卑怯な人になりたくないのです。私自身は、意見が違う人と実名で議論することは厭わないのですが、多くの場合、同じ土俵に上がってくれないのです。

3.「愛ある毒」よりも「差別に基づく攻撃」が多い

某国大統領の例を挙げられていましたが、人種や主義主張が異なる人を貶めることは「差別に基づく攻撃」です。自分と違う人を茶化すように見えて、実はリスペクトしていることが伝わり、結果として仲良くなるような「愛ある毒」なら良いのですが(これはこれで相対で面談している時しか伝わりづらいのが難)。

たしかに、毒を吐けば、「毒を愛する人」や逆に「毒に怒る人」を、短期的には集めることができるかもしれません。しかし「毒は毒を」「悪意は悪意を」増幅します。そのネガティブなエネルギーの真っ只中にいることが、自分にとって幸せなことかどうかは、じっくり考える必要があります。

それでは、毒を吐く代わりに、私自身が、メディアやネットで公言する時に心がけていることをご紹介しましょう。

1.自分と違う人に「毒」づくより、人と違う「独創的発想」を

同調圧力の強い日本では、大多数と違う意見、外見、行動をする人を、安易に「毒」づく傾向があります(パラリンピックでちょっと変わったかも???)。

私自身も、ちょっとした変人なので、白い目で見られ、陰口をたたかれた経験も少なからずありました。

しかし、逆にそれが、私に「もっと人と違う考えで発言や行動をしよう」という意思や気力を与えてくれました。ですから、メディアやネットを通じた識者の発言を目にすると、批判ではなく、なるべくそれとは違う独創的な発想をしようと頭を働かせます。

これはちょっとしたクセのようなもの。繰り返せば繰り返すほどトレーニングになり「独創力」も高まると実感しています。毒を吐くと称して、誰かの上げ足を取るイージーな脳回路を、わざわざ創るより、「そんな考えもあるんだー」と驚かれるような「独創力」をつけた方が楽しいとは思いませんか?

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