2.「まじめ」「不まじめ」よりも「非まじめ」の精神で
「まじめ」な人と「不まじめ」な人は対立しがちです。まじめな人は不まじめな人がキライ。不まじめな人はまじめな人がキライ。ここで相互に攻撃しあう根っこにあるのは、毒ではなくて不寛容な心です。
このメルマガでも意識しているのは、「まじめ」でも「不まじめ」でもない、両者の良さを認めて包み込む「非まじめ」の精神です。
ですから、悪意さえなければ、どんな投稿や質問でも大歓迎ですし、毎週のできごとやイチオシも、硬軟とりまぜて、できるだけ私のありのままをご紹介しています。
この方がラクで楽しいし、短い人生、毒づくヒマや労力がもったいないのです。
3.「代案なき批判」より「体感した感動」「体得した智慧」を
土俵に上がっていない人でも、力士を批判して毒づくのは簡単です。しかし、私はいくつになっても無言で土俵に上がり続けたい。そして、土俵に上がって初めて見える景色と、その感動を伝えたい。
土俵の上で負ければ、批判も受けるでしょう。しかし負けては勝ち、勝っては負けてを繰り返してこそ体得できる知恵(時には智慧)もあるのです。その智慧を必要としているしかるべき人にしかるべき形で伝えたい。
このメルマガも、その大切な手段だと心しております。
ということで、もともとお優しい方が、あえて短期的な人気を集めるために「毒」を吐く必要は無いでしょう。
それよりは、ご自身ならではの「独創的な個性」を、コツコツ創り上げることの方が大切だと思うのです(イチオシで紹介したStudio COOCAのアーティストがお手本ですね)。
もうひとつ、たけしさんの言葉を借りるならば、「下積みの期間と、売れる期間は比例する」。つまり時間をかけて創り上げた個性は、長持ちするのです。一発芸のにわか芸人と同様に、にわかYoutuberやインフルエンサーは、10年後どうなっていることやら。人気を失いフォロワーやらアクセスやら減るのも悲しいでしょうが、人生で目指すべきゴールや、確立すべき人格を見失ってしまうのが一番の悲劇ではないでしょうか?
最後に、「毒」とは似て非なる「狂った独創性」の話を。
私が敬愛するSF作家の筒井康隆さんによれば、あのように狂った妄想を文章にすることで、本人の日常的な精神はいたって平穏で、狂気とは無縁とか。一種のストレス解消ですね。とは言え、別に誰かを傷つけるわけでもなく、あの手の狂った話が好きなファン(含む私)が喜ぶだけだから、win-winです。
そんな形で、自分の中の狂気を表現して、精神のバランスを取りつつ、知る人ぞ知るファンが喜ぶコミュニティを創るのが、私にとっての理想的な人生です。
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