安倍・麻生というゾンビに取り憑かれた自民党・岸田新政権の前途多難

 

福田達夫をどうして味方につけなかったのか

河野に不足した条件の第2は、せっかく小泉が陣営に馳せ参じていながら、4回生(09年8月の民主党政権誕生の時に初当選)で自民党の若手の希望の星であるはずの彼が、3~1回生(12年12月の安倍第2次政権成立時以降に当選)を河野支持にまとめるだけの組織力を発揮できなかったことである。

今回の総裁選の最大特徴は、派閥の締め付けが全く効かなくなったことで、それはどうしてかと言えば、衆参を合わせてほぼ半数近い議員が安倍第2次政権時代に当選してきたいわゆる「安倍チルドレン」だからである。この人たちは、“安倍ブーム”に乗って安易に上がってきて、もちろん安倍には多大なる恩義を感じているけども、反面、安倍がいなくなった後の菅の下では到底当選はおぼつかないという不安の真っ最中。そこで、河野・小泉チームが「もう安倍さん頼りの時代ではないのだという覚悟を決めないと。我々と一緒に新しい自民党を作りましょうよ」と切り込んで行くべきだった。

素早く動いたのは福田達夫で、衆院の3~1回生90人を集めて「党風一新の会」を作り、代表世話人となって「派閥に囚われない総裁選を」などと訴えた。彼は、福田赳夫首相、康夫官房長官の血筋を引く清和会そのものではあるけれども、そういう枠組みをブチ破ってこういう組織化ができるだけの力量があるのだろう。

そこで、河野・小泉チームとしては何としてもこの福田を味方に引き付けて、安倍チルドレンをごっそりと河野側に引きつけることが戦略的に鍵となるはずだったが、そういう努力を払ったのかどうか分からない。少なくとも結果から見れば、安倍側からの「お前ら、俺への恩義を忘れるな。今回は岸田だぞ」という恫喝的な刈り込みが成功したことは明らかで、それが岸田勝利の大きな要因となったはずである。

二階はボケッとして何もしなかったのか?

河野が勝てなかった条件の第3は、二階俊博幹事長の働きがなかったことである。1年前には、それなりに見事と言っていい根回し能力を発揮し手品師のように菅政権を作った二階だが、その菅政権があっけなく崩壊していく中で、彼は一体何を考え何をしてきたのか。それが全く見えない。

二階の側から見れば、問題の焦点は、キングメーカーの座を安倍・麻生が確保するのか、それとも自分になるのかの一点にあったはずで、そうであれば河野・小泉・石破チームを勝たせるためにありとあらゆる手段を動員して戦うべきだが、そういう決然たる行動には出ていない。むしろ逆で、派内をまとめることができず、そのために第1回投票も、決戦投票となった場合も自主投票とせざるを得なくなるという無様なことになった。そこを記者から突かれ「派としてまとまった対応をしないのか」と質問されると、「(派の一員として)対応したくない人は、(派から)出て行ってもらうしかないね。ちょっと愚問なんじゃないか、こういうプロの世界では」と、ほとんど意味不明の答弁をした。

文言だけ聞けば、「今のところ一見バラバラに見えるかもしれないが、いざ決戦という時には、俺はプロの寝技師なんだから、決めるべきは決めて、従わない奴は叩き出してでもビシッとやる。君はそんなこともわからないのか」という意味にとれるが、もちろん実際にはそんなことは起きなかった。この有様には、二階派の若手の間からも「何を言っているのか分からない」「ボケという言葉は使うべきでないが、ちょっと疲れてしまったのかなあという印象だ」といった声が聞かれた。

もう1つ付け加えれば、第4に、菅義偉首相の「河野支持」発言は全く余計で、何のプラスにもならないどころか、河野の足を引っ張ることになった。

こうして、河野の突破力、小泉の発信力、石破の安定力、二階の陰謀力をうまく噛み合わせれば、3A=ゾンビ3人組の権力への異常なまでの執念を打ち砕いて「党風を一新」することができる可能性は大いにあったのだが、実らなかった。

高野孟さんのメルマガご登録、詳細はコチラ

 

print
いま読まれてます

  • 安倍・麻生というゾンビに取り憑かれた自民党・岸田新政権の前途多難
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け