ロシアの進軍は不可避だったのか。今ふり返るウクライナ侵攻前夜

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21世紀最大の暴挙と言っても過言ではない、ロシアによるウクライナへの侵攻。国内外を含めほとんどの専門家も「まず起こり得ない」と予想していたプーチン大統領による軍事行動は、なぜ現実のものとなってしまったのでしょうか。今回のメルマガ『uttiiジャーナル DELUXE』では著者でジャーナリストの内田誠さんが、ソビエト連邦の崩壊からウクライナ侵攻前夜までを改めてふり返るとともに、この戦闘はどう考えても偶発的に起こったものではないと断言。あらかじめ想定されていた「戦闘に至るコース」に乗って始まった軍事衝突であるとの見解を示しています。

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はじめに~アンナの故郷

ソビエト崩壊後の90年代、旧衛星諸国から日本に向けて「出稼ぎ」にやってくる人の流れがありました。主に女性たち。彼女たちの仕事先は風俗産業、なかでもキャバクラなどで、名目は「タレント」として、しかし実際にはホステスとして使われていました。

遡って80年代当時、キャバクラなどの業界で働いていた外国人女性の多くはフィリピン人でした。いわゆる「フィリピンパブ」ですね。当時の私は、来日した女性たち(フィリピーナと俗称されていました)が日本人男性との間にもうけた子どもの扶養や国籍など、様々な問題で苦しんでいた状況について取材していましたし、テレビ朝日の報道番組で報告したりもしていました。

90年代の始め頃だったと思います。別件でディレクターと2人で広島市を訪れていた時のことでした。市内最大の繁華街、通称「流川」(ながれかわ)のキャバクラの前を通りかかった時に、奇妙な謳い文句に目が惹き付けられました。

ロシア美女、多数来日!

店の外観はかつて取材した「フィリピンパブ」にしか見えないのですが、なぜか「ロシア人美女」とあります。ディレクターと2人、気になったので「客」として入ってみることに。

結論から言うと、システムはかつての「フィリピンパブ」と全く同じものでした。ただ「ホステス」と「タレント」のポジションを、フィリピン人女性から「ロシア人女性」に入れ替えただけ、というような店だったのです。女性「タレント」の調達先がフィリピンから「ロシア」に代わったということ。驚いたのは、「ショータイム」に彼女たちがホールで踊る簡単な踊りの振り付けも「フィリピンパブ」のときと全く同じ。もちろん、掛かっていた曲も全く同じ曲(マドンナの“La Isla Bonita”)でした。

そして、これが肝心なことですが、「ロシア人女性」はロシア人ではなかったのです。

私たち2人のテーブルについた2人の女性。1人は「アンナ」さん、もう1人の名前は忘れましたが、片言の日本語と英語で話しているうちに、「アンナ」さんはウクライナ人で、キエフの人。もう1人の方はベラルーシの人で、首都のミンスクからやってきたことが分かりました。いずれもチェルノブイリに近く、原発の話になると悲しそうな表情をしていました。来日の理由、あるいは少なくとも背景に、原発事故の影響があったことも充分推測できました。

その後、彼女たちがどこでどうしていたのか分かりませんが、考えてみれば、彼女たちの故郷はまさしく今、プーチンの軍隊が“進撃”しているルートに当たります。特に「アンナ」さんの国では、激しい殺戮と破壊が進行している最中。少年と少女が愛し合う「美しい島」は歌と空想の中にしか存在しないのかもしれませんが、ウクライナの人々の安全と独立が脅かされている今、「アンナ」さんの平和が一刻も早く確保されることを祈りたい気持ちです。

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