ウクライナは、旧ソ連構成国である。そのNATO加盟は、ロシアにとって「ソ連の領土」の喪失を意味する。旧東欧圏のNATO加盟とは意味合いがまったく違う。その上、ウクライナ領の港にNATOの軍艦が停泊することになると、ロシアは黒海からエーゲ海・地中海を経て世界に海軍を展開することができなくなるという、地政学的に深刻な事態に陥る。ウクライナだけは失うことはできない。
一方、米国・NATOは、約30年間順調に影響圏を東に拡大してきた。東欧の旧共産圏は民主化し、同盟国となった。残るは、旧ソ連構成国のウクライナ、ベラルーシなど数か国だけだ。NATOに加われば儲けものだが、そうでなくても問題はない。だから現在、ロシアに侵攻されたウクライナを支援しても、それを死守する軍隊は出していない。
要するに、ユーラシア大陸の勢力争いで、米国・NATOはすでにロシアに勝利している。ロシアは、なんとかウクライナだけは死守したいということだ。
これが、ウクライナ紛争の本質だ。ロシアが、ウクライナ侵攻を皮切りに失った東欧の旧共産圏を取り戻そうとする「大国ロシアの再興」を目指すことはあり得ない。軍事的にも経済的にも力量がないことを、プーチン大統領は認識している。「大国ロシア」はプーチン大統領の虚勢によって生まれた「幻想」にすぎない。
しかし、この本質から考えれば、あえて冷徹にいえば、米国・NATOがウクライナをロシアに渡してしまえば、ウクライナ国民には大変不幸だが、この戦争は終わる。米国・NATOが東方に伸ばした影響圏はなにも失われない。
一方、ロシアは安全保障上の懸念は払しょくできるが、得るものがない一方で、払った代償は大きい。ウクライナに傀儡政権を作って間接統治する軍事力・経済力はない。この戦争は、米国・NATOの勝ちである。
だが、この形での戦争終結はありえなくなった。その理由は、ロシアが主権国家を軍事侵攻するという「力による現状変更」を行ってしまったことにある。
ウクライナ侵攻で、ロシアは国際社会で完全に孤立した。国連総会の緊急特別会合では、「ロシア軍の即時・無条件の撤退」「核戦力の準備態勢強化への非難」などを盛り込んだ決議が、193カ国の構成国のうち141カ国の支持で採択された。2014年のクリミア併合時の決議への賛成は100か国だった。
ロシアを批判する国の数が大幅に増加したということだ。反対は北朝鮮など5か国のみ。国際社会における立場を考慮して棄権という態度を取った国もある。だが、もろ手を挙げてロシアを支持した国はほとんどなかった。
主権国家に軍事侵攻する「力による現状変更」が、世界中の誰にとっても、絶対に認めることができないことだったからだ。軍隊によって国が蹂躙されて、命が奪われることが容認されてしまうならば、自国に対する侵略も、許されてしまう。大国に蹂躙される恐怖を常に感じている中堅国、小国ほど、その思いを強く持ってしまったのだ。
「力による現状変更」は、皮肉なことにNATOの東方拡大を止めるどころか、加速させてしまうかもしれない。ウクライナがEUへの加盟申請書に署名した。また、ウクライナ東部の親露派支配地域と同じように、一方的に「独立」を宣言された地域を国内に抱えている、旧ソ連構成国のモルドバとジョージアもEUへの加盟申請書に署名した。
この動きは、NATOの拡大にもつながるかもしれない。すでに、ウクライナとジョージアは、NATOが加盟希望国と認めている。モルドバはNATOの「平和のためのパートナーシッププログラム」に参加しているのだ。
さらに、NATO非加盟国のスウェーデンとフィンランドの世論調査で、NATOへの加盟の支持が初めて過半数を超えた。ロシアのウクライナ軍事侵攻によって、欧州のNATO非加盟国のあいだで、一挙に「ロシア離れ」が加速してしまったといえる。