亡くなった元代議士が語った、憲法を「求める沖縄」と「捨てる日本」

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元衆議院議員で社民党の副党首などを務めた照屋寛徳氏が15日に亡くりました。照屋氏は1945年生まれ。1945年生まれでは、「キツネ目の男」と呼ばれた“突破者”の宮崎学氏も3月30日に亡くなっており、同い年として2人の故人を偲ぶのは、メルマガ『佐高信の筆刀両断』著者で評論家の佐高信さん。照屋寛徳氏は佐高さんを“心友”と語っていたとのことで、独特のユーモアのエピソードとともに、著書や対談などで示していた憲法への思いを紹介しています。

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憲法を求める沖縄と捨てる日本

「突破者」の宮崎学に続いて沖縄選出の社民党代議士、照屋寛徳が亡くなった。共に同い年だけに寂寥感は深い。

宮崎は「キツネ目の男」と言われたが、アリバイがあるということだった。しかし、いわゆる極妻である彼の母親は息子に向って「わての目はごまかされへんでぇ」と言って、宮崎から100万円を巻き上げたという。

宮崎と照屋が会ったことがあるかどうかは知らないが、共に独特のユーモアがあった。

2014年6月20日にやった「日本の今を問う」3連続対談が忘れられない。最初に沖縄のドキュメンタリーを撮っていた三上智恵と照屋、次に早野透と私、そして「孫が祖父に聞く歴史認識」で雨宮処凛と村山富市だった。

まず、照屋がこう口火を切った。「みなさんこんにちは。社民党は反帝国主義者の集まりですが、今日は定刻通り進めていきたいと思います。1時限目の授業は、照屋寛徳が三上知恵監督にいろいろと話を聞いてまいります」。帝国と定刻、寛徳と監督をダブらせた言い方に三上が「いっぱい用意して来たんですね」と笑う。

そのころ、照屋は『憲法を求める沖縄 捨てる日本』(ゆい書房)という本を出した。それを踏まえて、照屋はこう提案する。
「沖縄は復帰以前、まったく憲法が適用されない無憲法下にあった。復帰後は憲法は適用されたものの、安保条約がその上位に立つ適用になっていて、反憲法的な状況にある。そういう中で安倍政権は憲法解釈を変えて、集団自衛権行使容認を閣議決定だけでやってしまう。憲法9条をぶっ壊そう、憲法を捨てようとしている。三上さん、この日本が捨てた憲法を沖縄が拾って、沖縄は独立しようかね」

声高でなく話す照屋の言葉には説得力があった。照屋はこんなことも言っている。
「三上さん、あんたは映画監督でもテレビのアナウンサーでもあったから機関銃のようにしゃべる。でも脳梗塞を発症した照屋寛徳は、水鉄砲みたい(笑)」

最後に照屋は三上に対して「今度映画作る時は、あなたが監督で僕を助監督に。僕もしかしカントクのキャリアは68年ですから長いよ」と提言していた。

当時、68歳だったということだが、これには、やはり同い年の早野透が「照屋さん、意外に笑いを取ってましたねえ。あんな人とは思わなかったですよ。NHKの『日曜討論』などを見ていると、真面目に話していらっしゃるから」と受けていた。

前掲書で照屋は私を“心友”とし、拙著『この人たちの日本国憲法──宮澤喜一から吉永小百合まで』(光文社、のちに『反憲法改正論』と改題して角川新書)を「名著」として「保守も革新も、護憲派も改憲派も購入のうえ、ぜひとも精読されることを望む」と書いてくれた。護憲を左派の“専売特許”にしないという私のすすめを真っすぐに受けとめてくれたのである。

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