こういう問い合わせには、これ。こういう案件には、これ。というマニュアルの匂いが強すぎる。日本の丁寧なサービスは有難いが、丁寧すぎる言葉の羅列には、「普段から使わない」言葉が多く嘘くさい。
親切丁寧もいいが、こういうところから「自分の意」を表現する力の退化を加速させているのではないだろうか?
用意された原稿、用意された謝罪文、用意された感謝の意を表す例文…などなど、探せば欲しいときにすぐさま手に入る時代。
自分の言葉で自分の意見を述べる、気持ちを伝えるということは今も昔も変わらないことなのに、出来上がったものばかりがすぐ手に入る便利さが故、人はどんどん「考える」ということを忘れてしまうようになってきた。
考えずとも、「情報」は「無料」で手に入る。
子育てだって、人づきあいだって、「どうすればいいのか?」を考えずにネットで検索。考えなければ「工夫」をしなくなるのは当然で、人がどんどん「バカ」になっているような気がしてならない。
私に「お詫び」メールを送ってきたパソコンの向こうにいる人は、どういう人なのだろうか?
だた「仕事」として、キーボードを叩いている人の姿が目に浮かぶ。私が行った「問い合わせ」も、クレーム処理班が「対応」した1案件であり、実は丁寧な「処理」に過ぎないことはわかっている。
こういう社交辞令で「客の評価」を下げない努力は必要だと思うが、「感謝」と「お詫び」をブランドした「親切・丁寧」は、嘘臭さを助長していることに皆気付くべきだと私は思う。
丁寧であればいい、親切であればいい、なおかつ「安ければいい」という客側のニーズに答えるこの日本文化そのものが変わらなければ、日本の不況は回復しないのに。
売れないものの価格を下げる、そのために人件費が削られる、そして働く側の賃金が下がる、だからお金は使わずに貯められる。
高いものは買わない→売れないものは安くする…この繰り返し。小学生でもわかる。
だから「値上げ」をすることに対しても、「申し訳ございません」。これでは経済は動かない。消費者も「買ってあげる」というビジネスを提供している側に対する「感謝」の追求を辞めるべきである。
支援にしても同じ。
ウクライナ支援をした日本、ウクライナ側の感謝動画に日本の国旗が出されてないことに対しても物議。
「ウクライナ側にその趣旨を確認中」と官房長官の声明。「うちも支援はしてますが、うちとこの名前が出てないんですけど?」いちいちウクライナに確認を取る行為そのものが恥ずかしい。
世界の他国に対して「感謝」と「お詫び」の1セットを求めている時点で、日本の恥であることに気づいて欲しいもんだ。
面倒くさい国…にならないように成長して欲しい…。
現地ロサンゼルスから生の声をお届けする、原ますみさんのメルマガ詳細・ご登録はコチラ!
image by: Shutterstock.com