武田邦彦氏が批判。国民の手を離れた選挙と国民を顧みない議員の愚

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政治の劣化が叫ばれて久しい我が国ですが、その原因の一端は選挙のあり方に求めることもできるようです。今回のメルマガ『武田邦彦メールマガジン「テレビが伝えない真実」』では中部大学元教授の武田邦彦さんが、諸外国に比べ明らかに高額の供託金や実質的に仕事を失うといった、誰しもが立候補できる状況にない日本の選挙制度を強く批判。さらに国民のためではなく金儲けばかりを考えて動く政治家たちに、厳しい視線を向けています。

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「供託金」で300万円以上。政策を持たない貴族が行う日本の政治

2009年から「魔の3年間」と言われる民主党政権時代があった。確かに、結果的にはムチャクチャな政治で、そのダメ政治を大きいほうから思い出せば、

  1. 絶対に増税しないと明言していた野田首相が消費税を上げた
  2. 原発事故の時に「直ちに影響はない」と言って福島県の人に避難バス1台も準備しなかった
  3. 沖縄の基地でアメリカと何も話をしないで「国外、県外移転」と実現不可能なことを言った

などがある。いずれも政権の責任者としては考えらえない無責任さである。

でもこんなことを思い出して、いちいち文句を言っていても仕方がない。国民が選択を間違ったからであり、その原因は日本のメディアが選挙前に間違った報道を続けたからである。

現在の日本は「選挙に基づいた代議士が、国民に変わって政治を行う」という大原則が実施されていない。その最たるものが小選挙区制度であり、憲法には一言も書いていない「党」が幅を利かせ、国民は選挙で「人」を選べない。確かに、国会では個人はあまり力を持たないので「党」を選んだ方が良いという考えもある。しかし、そのためには国会で議論をして、選挙制度を人から党に変える必要があり、そんな議論をすると俺たち(議員)が損をするからという理由で誤魔化すのは民主主義ではないし、そんな権限を議員は持っていない。

「党より人を選ぶ」という今の憲法の規定は適切である。なぜなら、社会や世界の状態は時々刻々変わる。だから4年や6年の任期の衆議院や参議院では、その間、政策が変わらない方が不思議である。時々刻々変化する社会に対して、「自分の代わりに判断してくれる人」を選ぶ方が代議員制度では正しいと考えられるのである。

特に今は親から引き継いだ議員の地位を、地盤、看板、カバンで確保するようになっていて、ほとんど政策を持たない議員が多いことは言うまでもない。それでは、民主主義が実質的に行われないのだ。

さらに、立候補して選挙戦をするにはお金がいる。第一に「供託金」で日本が300万円以上、先進諸外国は無料から10万円程度である。誰でもが立候補できるようにしなければならない。既存の政党なら蓄積された資金や政党助成金という税金で賄うことができるが、新しい人はその恩恵はない。

さらに立候補を表明した段階で、会社、会社との取引、官庁からの受注、公的立場などを止める必要が生じる。

職を失って300万円の供託印を払い、2、3回立候補することなど「貴族」しかできない。つまり現在の日本の選挙制度は、小選挙区、高い供託金、仕事を失うなどあらゆる面で、すでに国民の手を離れていると言える。

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