しかし、安倍さんは、当方がどれだけ政策論的批判を差し向けていても、当方から学者として提案申し上げれば、文字通り「必ず」その提案に耳を傾けて下さいました。
そして、当方が最も強烈に安倍さんを批判していた「財政政策」について、当方がホストを務める「東京ホンマもん教室」というテレビ番組の元旦スペシャルにて、自らのアベノミクスについて、
「財政政策において積極性をもつべきだった」
との反省の弁を、公共の電波に乗せる形ではっきりと言明されるということもありました。
当時、この一言に着目する報道はありませんでしたが、これは永田町の事情を知るものならば誰もが認識できる、極めて大きな意味を持つものだったのです。なぜなら、この反省の弁があれば、「次」のチャンスが訪れれば、かつてのアベノミクスとは異なる「異次元」の、デフレ脱却に足る十分な財政支出があり得たからです。
実際、ある時、安倍さんとの会話の中で、さらなる新たな「ご活躍」の場を大いに期待している旨を申し上げたところ、安倍さんは確かに「次は、絶対にやりますよ」と、驚く程に、力強く、おっしゃるということがありました。
それを耳にしたとき、我が耳を疑ったことを覚えています。
なぜなら、一旦宰相の座を退かれてからは、「今後」の話しに水を向ければ、様々な配慮から必ず言葉を濁されてこられたからです。にも関わらず、その時だけははっきりと、デフレ脱却のための意次元の財政政策を「次」は絶対にやるとの決意を口にされたのを耳にした時、政治家・安倍晋三の精神の内に、日本を救うための「闘志」が漲っていることをありありと感じたのでした。
そして事実、安倍さんはその後、積極財政の展開に向けた政治闘争を展開し、本年の「骨太の方針」の策定に照準を定め、最終的に(PB規律によって)「重要な政策の選択肢を狭めることがあってはならない」との文言を挿入することに成功されたのです。
関係者にしか分からない大変に地味な「一文」ではありますが、それは確実に、現代日本の政治を大きく転換させる歴史的な一歩となるものだったのです。何といっても、PB規律はあったとしても、それが「重要な政策なのだ」と政治的に決定できたのならば、その実施がPB規律によって排除されずに実行可能となるからです。
だからこそ安倍さんは、その「骨太方針」の内容が確定した日の夜、「これは我々の実質的勝利だよ」と口にされたのです。
…ですがもちろん、「緊縮財政派」は、そんな文言を無視することは必至。「PB規律があるんだから、できないものはできないんだよ」という政治圧力をかけてくることは火を見るよりも明らかでした。
だからこそ、日本をデフレから脱却させ、国力を増進し、真の独立を勝ち取っていく一歩を踏み出すためにも、この参院選挙後に、「PBを無視してもやらねばならない重要な政策とは何なのか?」を巡る大きな政治闘争を大きく展開せねばならぬと、安倍さんと共に密かに予期していたのでした。
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