時には発することをためらってしまう「諦める」という言葉。誰しもこの「諦める」にはネガティブなイメージを抱いてしまう人が多いのではないでしょうか。そこで今回は、メルマガ『岡本浩和の「ZEROコミュニケーション術」~感覚にアクセスできれば人間関係は今よりずっと良くなる~』の著者・岡本浩和さんが、本来の『諦める』の意味をご紹介。コロナ禍の今だからこそ持つべき心構えについても語っています。
この記事の著者・岡本浩和さんのメルマガ
「諦める」は本来ネガティブな言葉ではない
こんにちは、岡本浩和です。毎日暑い日が続きますね。こう暑いと、考えることもうざくなりますが、そんな中でも人間というものつい余計なことを考え、悩みのループに入ってしまいがち。そういうときは、諦めが肝心ですね(笑)。
先日の新月の日にふと思いました。新月は新たなスタートを切るに当たってリセットすると良いといわれる日です。
科学的根拠は皆無ですが、古来言われる「迷信」のようなものも信じてみるのも時には良いかもしれません。言葉にせよ物にせよ淘汰されず長らく残る物には何にせよ相応の意味があると思うからです。
「諦める」ということについて考えてみました。「諦める」というと、どうしても中途半端であるとか、途中で物を投げ出すとか、ネガティブな印象がついて回ります。しかし、ググってみると本来の意味がわかります。
例えば、「諦観(たい(てい)かん)」、「諦聴(たい(てい)ちょう)」といった熟語の「つまびらかにみる、聞く」にみられるように、「つまびらかにする」「明らかにする」が、本来の意味です。
そして、漢語の「諦」は、梵語のsatya(サトヤ)への訳語であって、真理、道理を意味する。あるいは、(少し古いですが)東洋経済オンラインの記事には次のようにあります。
この記事の著者・岡本浩和さんのメルマガ
【関連】ギフテッド支援を検討する日本に“天才の子供”が少ない当然の理由







