地方行政にまで浸透。日本国が統一教会と手を切ることは可能か?

2022.08.31
 

むしろ、旧統一教会と政治の関係は、地方から始まったといっても過言ではない側面がある。教団と日本の政界とのつながりは、韓国で旧統一教会の開祖・文鮮明が朴正煕政権時代の韓国中央情報部(KCIA)の指示で1968年に韓国と日本で「国際勝共連合」を創設した時に始まる。日本では、「70年安保闘争期」に共産主義者と戦う勢力の助っ人となり、自民党の選挙活動の支援を行うようになった。

70年代から80年代にかけて、日本の政治は保革伯仲となり、地方では「革新自治体」が次々と誕生した。勝共連合は、「革新自治体」と闘った。例えば、1975年の東京都知事選挙では、革新系の美濃部亮吉都知事の3選を阻むため、勝共連合のメンバーが大量に動員されたという。

また、1978年の京都府知事選では、引退を表明した共産党系の蜷川虎三知事の後継者を、勝共連合が支援した林田悠紀夫候補が破って当選し、7期28年続いた革新府政を終わらせた。要するに、旧統一教会の政治とのかかわりは、地方で「共産主義打倒」という政治的な目的を明確に打ち出して行われていた歴史があるということだ。

しかし、フェアに指摘しておきたいのだが、その後旧統一教会は、政治的主張を強く打ち出すことはなくなっている。現在、私の考えでは、政党や政治家にとっての旧統一教会は選挙時の「集票マシーン」にすぎないのだ。それは、勝共連合の「ジェンダーフリーや過激な性教育の廃止」「男女共同参画社会基本法の改廃」などの政策を、安倍晋三政権以降の自公政権が全く採用していないことが示している。

旧統一教会側も、「集票マシーン」であることに徹している。その理由は、ソビエト連邦や東欧などの共産主義国家の崩壊による「東西冷戦」の終結で、政治的に戦う相手が弱体化してしまった一方で、「霊感商法」「合同結婚式」など旧統一教会の活動が厳しい批判を浴びて、「社会的な信用」を失ってしまったからである。

そして、その「社会的信用」を取り戻すために、自民党など政党の有力な支持団体となろうとしているのだ。政党の有力な支持団体という「お墨付き」を得れば、信者を集めやすくなる。信者を集められれば「献金」「お布施」「寄付」などの資金集めもやりやすくなるということだ。

旧統一教会の「社会的信用」を取り戻すための活動は、選挙活動にとどまらない。さまざまに広がっていることも明らかになっている。例えば、教団は地方自治体だけではなく、全国の社会福祉協議会(社協)にも多額の寄付を行ってきた。社協は、社会福祉法で規定されて、民間団体であるが、全国に約1,800か所の市町村に設置されている。地域福祉の普及推進と、民間福祉事業やボランティア活動の推進支援を行うのが役割だ。

社協は、運営資金は地方自治体の予算からの補助金で賄っている。しかし、財政赤字に悩む自治体も少なくなく、社協への補助金は十分とはいえない。社協にとって、寄付は主要な財源となってきたのだ。

また、旧統一教会は、「平和ボランティア隊」を組織し、全国の自然災害からの復興支援を行ってきたという。それは、2011年の東日本大震災から始まった。宮城県石巻市の災害ボランティアセンターを中心に被災地のがれきや泥の撤去を行ったという。

それ以降、旧統一教会は2014年の「広島土砂災害」、2016年の「熊本地震」、2017年の「九州北部豪雨」、2018年の「西日本豪雨災害」、2019年の「台風15号」、など、さまざまな大規模災害の現場にボランティア隊を派遣してきた。

ボランティア隊は、旧統一教会であることを隠してはいない。そして、災害現場での勤勉な働きぶりで高く評価されてきたという。19年の「台風15号」では、南房総市社協が「世界平和統一家庭連合 平和ボランティア隊 UPeace」名で感謝状を贈っているのだ。

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