すべてが完璧。エリザベス女王という君主が成し遂げた3つの功績

 

2つ目は、外交です。外交においては実務的な調整が占める割合というのは、非常に大きいものがあります。ですが、同時に国と国の社交というのも儀礼としては大切です。多くの国民にとっては自国以外のことはどうしても情報量が限られます。そこで、相手国の代表が自国に来る、そこで外交的な儀礼が行われるとなると、そこで初めて相手国に関心を持つということがあります。

以降は、その相手国の元首を通じて、一種その国が擬人化されて、親近感なり理解が進むということがあります。これはどうしても避け難いことであり、全くの実務だけで2国間関係を安定させるというのは無理があります。

この外交について、立憲君主制の君主は実務的な交渉や調整には一切関わらない一方で、儀礼と社交の部分においては大きな責任を果たすことになります。少なくとも、そうした意味でエリザベス2世の果たした役割は非常に大きかったわけで、20世紀から21世紀にかけての世界外交史上では傑出した存在であったと言えます。

その功績としては、良くも悪くも大英帝国が英連邦になり、やがてその多くが独立し、最後には共和制となって連邦(コモンウェルス)を離脱するというプロセスを「ソフトランディング」させたということが一番に想起されます。多くの植民地を「七つの海」において有していた英国の場合、この「離脱プロセス」を流血なしで進めるというのは、大変なことであり、例えばフランスやベルギーの歴史が血塗られた不祥事で満ちていることと比較すると、問題は多々あったにしても「まし」であったことには、この人の個人的な功績を認めることは可能だと思います。

この「離脱」、つまり大英帝国が発明し、長くその害悪をそのままとしていた帝国主義からの「卒業」ということでは、例えばアイルランド、北アイルランド、そしてスコットランドという問題もあるわけです。この「連合王国」の「かたち」に関わる複雑で神経を遣う問題についても、とにかく現在の均衡へと持ち込んだ中には、この人の存在というのは大きかったと思います。

日本にとっては、やはり大恩人だということは忘れてはならないと思います。まず、何と言っても、まだまだ旧敵国として反日感情の強かった1971年という時点で、昭和天皇・香淳皇后夫妻の訪英を迎えて成功に導いたことは特筆に値します。この時、戦争に当たって停止されていた昭和天皇に対する英国最高位の「ガーター勲章佩用」を復活させたことは重要です。更に答礼として1975年には国賓来日しています。

この75年の来日においては、英国国教会の守護者である女王が、異教の神殿である日本の神社に参拝することには、英国でも日本でも賛否両論があったわけです。そんな中で、反対を押し切って伊勢神宮を参拝して、日本の文化と国のかたちに尊敬を払いつつ確認した行動は強い印象を残しました。

また昭和天皇と女王は、ともに「ジョージ5世の立憲君主制私塾」の塾生であったわけで、詳細は不明ですが、71年の時も、75年の際にも「立憲君主制の奥義」に関する突っ込んだ対話がされたようです。もっともエリザベス女王の場合は、ジョージ5世崩御の際にはまだ10歳で、直接に薫陶を受けた部分は限られており、ジョージ5世の王妃であった祖母のメアリ・オブ・テック妃からの指導を受けていたようですが、いずれにしても「同門」であったのは間違いないと思います。

外交ということでは、冷戦期への対応、冷戦終結への対応、EUの成立と深化、その一方での自国のEU脱退、あるいは香港返還問題と対中外交など、非常に難しい連立方程式を理解しながら、ほぼ「ノーミス」の外交を積み重ねていったことも特筆されます。

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