9月8日、スコットランドのバルモラル城で96歳の天寿を全うしたエリザベス女王。1952年の即位以来70年に渡り英国君主を努めた女王は、自国や世界に何を遺したのでしょうか。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では著者で米国在住作家の冷泉彰彦さんが、エリザベス女王の功績を3つ挙げそれぞれについて詳しく解説。さらに英国王室と関係深い我が国の皇室が直面している、皇位継承を巡る「恐怖を覚える状況」を取り上げその改善を訴えています。
※本記事は有料メルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』2022年9月13日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
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エリザベス2世女王崩御と立憲君主制の将来
英国のエリザベス2世女王が崩御されました。グリニッジ標準時で9月8日午後6時半、米国東部時間では午後1時半であり、その訃報は15分ほどで世界を駆け巡ったことになります。1926年生まれの享年96、在位期間は1952年2月の即位から70年という長い年月を走り切っての永眠でありました。
女王の功績は大きく3つ指摘できると思います。
1つは、英国がマグナカルタ以来時間をかけて作り上げ、また女王の祖父ジョージ5世がほぼ形にしていた立憲君主制度を、文字通りその人生を捧げる形で、一つの政治制度として完成したことです。
立憲君主制とは「君臨すれども統治せず」という大原則ですが、この原則を作り上げていくプロセスでは「いかに統治しないか」という君主大権の自制と抑制だけが強く意識されていたわけです。ですが、女王はそこに、「いかに君臨するか」という現代における君主の人格表現のあり方を積極的に付加していったと言えます。
英国の君主(ソブリン)は、多数党の党首を首相に任命します。そこに君主の恣意が入る余地はありません。首相人事ということでは、まさに「統治」は不可能です。では、君主による首相の任命というのは全くのセレモニーなのかというと、それでは「君臨」したことにはなりません。
首相との関連で言えば、まず庶民院(ハウス・オブ・コモンズ=下院)が選出した首相候補を招いて、君主として「任命(キッシング・ハンズ)」を行うということがあります。その際には、簡単な挨拶が交わされるわけですが、その挨拶、そして以降の毎週の謁見により、君主は首相から重要事項の報告を受けて、場合によってはこれに対するコメントを行います。
その謁見の内容は、絶対に口外してはならないものとされ、事実ほとんどその内容は歴史家にとっても不明です。ただ、多くの間接的な証言によれば、エリザベス2世という人は、その治世の70年間に15名の首相を任命し、いずれの首相とも良好な関係を得ていたとされます。
少なくとも、女王は聞き役であり、時には「耳の痛いこと」を鋭く質問する役であり、時には叱咤激励をする役であったようです。そこから想像されるのは、女王(君主)という機関は具体的に2つあったということです。それは「首相という孤独な統治者に対する理解と激励ということ」「悠久の時間の中で国家として形成してきた国のかたち(=国体、コンスティトゥーション)を体現するということ」という2つです。
君主制に関する賛否両論は英国でも根強くあり、女王崩御により勢いが増すことが想像されます。また、米国やフランス、ドイツのように君主制を廃止した国家も数多くあります。ドイツの大統領はやや例外ですが、少なくともアメリカやフランスの大統領は、切羽詰まった局面では実に孤独ですし、同時に平々凡々な人間であるにもかかわらず、国のかたちを理解し体現するという超人的な能力を求められます。
少なくとも立憲君主制というのは、その意味で政府の仕事をやや容易にする仕組みであると言えます。そして、この立憲君主制というのは、このエリザベス2世の70年によって完成形に達したと言えます。
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