すべてが完璧。エリザベス女王という君主が成し遂げた3つの功績

 

3番目は英国の内政です。もちろん「統治せず」という原則は徹底されたわけですし、70年という治世の期間には、労働党による社会民主主義政権、保守党による穏健右派政権、保守党右派による構造改革派政権、中道左派化した労働党政権、保守党によるEU離脱など、様々な路線があったわけです。

こうした多くの政治のバリエーションがあった背景には、それこそ英国の経済社会の変容があり、そうした変化を受けて政治もまた対応のために変化をしてきたわけです。この変化には、君主の介入する余地は少なかったでしょうし、また君主の存在が変化を押しとどめることも不可能でした。

そうではあるのですが、例えば戦後のある時期、経済の全体が衰退する中で、成熟化した市民社会はより労働条件の改善や、格差の是正を求めて社会民主主義の実験に走ったことがありました。この時の英国は、とりあえず「できるところまでやる」ということで、例えば、ハロルド・ウィルソンやキャラハンについては、半端な政府ではなく、大失敗に至るまで徹底して「やらせた」わけです。

勿論、それは過剰であったわけで副作用も大きかったのですが、民意がそうさせたこと、そして民意がある以上は、君主も政権を激励し続けたことが「中途半端」をさせなかった要因のように思われます。

その反動が、と言いますかその副作用を徹底治療したのがマーガレット・サッチャーですが、サッチャーの改革も民意のなせる技であり、彼女なりの政治センスで長期政権の「サバイバル」に成功したわけです。ですが、この場合も、君主として途中からは有形無形の支持と支援がされたようです。

その後も、例えばブレアの「第3の道」にしても、メイやジョンソンによる「EU離脱」にしても、勿論それぞれが民意の結果ではあるものの、どちらも腰砕けや迷走に陥ることなく、曲がりなりにも統治を成立させたのは事実です。その背景としては、やはり、君主の心理的な庇護ということはファクターとしてゼロではなかったと思います。

それにしても、96歳という天寿を全うしただけでなく、最後の1年も、2月には即位70周年を祝い、4月には亡夫エディンバラ公フィリップの1周忌のケジメをつけています。更にはジョンソン前首相の退任を受けた保守党党首選の結果を待ち、リズ・トラスが選出されると、そのトラスと辞めるジョンソンを謁見して、トラスの任命を行ったわけです。

つまり行うべきことをしっかり完了させて、しかもトラス首相の任命にあたっては、素晴らしい笑顔の写真まで撮らせています。その翌日には静かに体調を崩し、近親者の集合を待って首相任命の2日後に永眠したわけです。

亡くなり方として完璧ですが、これは偶然のなせる技というよりも、自身の体力と体調がどのような状態になったら、延命をしないだけでなく、亡くなる場合の段取りのようなことまで、本人がケース別に指示しておいたのだと思います。その後の訃の告げ方、そして一連の葬儀にしても、全て本人の計画のようです。

結果的に、スコットランドの山岳地帯にあるバルモラルの城で亡くなり、そこで最初の弔問を受け、ゆっくりとスコットランドのエジンバラに棺を移して、そこでも別れの儀式、公開弔問があるという形となっています。これは、あくまでスコットランドの女王(本当はスコットランドではエリザベス1世なのですが、その経緯は複雑で現在進行形なので省きます)としてのケジメであり、またスコットランドが連合王国の離脱をしないようにというアピールにもなっているわけです。

この記事の著者・冷泉彰彦さんのメルマガ

初月無料で読む

 

print
いま読まれてます

  • すべてが完璧。エリザベス女王という君主が成し遂げた3つの功績
    この記事が気に入ったら
    いいね!しよう
    MAG2 NEWSの最新情報をお届け