現代版にリメイクされた『うる星やつら』の舞台は、なぜ「昭和」のままなのか?

Black phone / Telephone of the Showa era JapanBlack phone / Telephone of the Showa era Japan
 

昭和の時代にアニメ化されていた『うる星やつら』が、現在リメイクされて放送されているのはご存知でしょうか?しかし、リメイクされたというのに、舞台は「昭和」のまま。これはなぜなのか、心理学者・富田隆さんのメルマガ『富田隆のお気楽心理学』の中で語っています。

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リメイク版『うる星やつら』の制作者たちはなぜ敢えて「昭和」という舞台設定を変えなかったのか?

貴方様はテレビアニメなどはご覧になりますでしょうか?

今、高橋留美子さん原作の『うる星やつら』がリメイクされ放送されています。作画技術の進歩などに合わせて、多少は今風にアレンジしている面があるとはいえ、基本的に原作の雰囲気に忠実な仕上がりになっています。

高橋さんの漫画の原作が1980年(昭和55年)、最初にテレビアニメ化されたシリーズの放送が1981年から1986年(昭和61年)のことですから、『うる星やつら』は完全に「昭和」の物語です。ですから、今回のリメイク版、つまり「令和版」も舞台背景は昭和に設定されています。

部屋に置かれたテレビ受像機も角が丸いブラウン管型ですし、家庭用の電話は黒電話、もちろん、ケータイなんぞ影も形もありません。街並みや高校の教室なども「昭和」ですし、高校生の主人公、諸星あたるが両親と暮らしている木造二階建て家屋(物語の中で何度も破壊されますが、いつの間にか直っています)の雰囲気も「昭和」そのものです。この点、テレビアニメの『サザエさん』一家が暮らす家が「平屋(ひらや:一階建て)」で、経済高度成長期「以前」の雰囲気を醸し出しつつあるものの、放映の時代に合わせて少しずつ変化して、いつの間にか現代の話のようになっているのとは違います。

令和版『うる星やつら』の場合は、バブル期(1986-1991年)直前の明るく開放的な人々の生活がほぼ忠実に描かれています。

なぜ制作者たちは敢えて「昭和」という舞台設定を変えなかったのか?

この物語は、高校生の「諸星あたる」、というよりは宇宙人の「ラムちゃん」を中心に展開するハチャメチャなSFコメディーであるわけですが、「SFだから、時代背景は関係ないだろう」などと考えたとしたら、文化というものの本質を見誤ることになります。この物語を構成する基本的なプロットや物語の中で生じる葛藤などが「昭和」の時代背景を前提にしなければ成立しないからです。

つまり、SFであろうが妖怪物語であろうが、推理ものやアクションものであろうが、大衆に支持されたヒット作品は一様に「その時代」を反映しているのです。それは、こうした作品がポピュラーな「大衆文化(ポップカルチャー)」に属しているからということが理由ではありません。いわゆる「芸術」と呼ばれるものを含めて、あらゆる領域の文化的遺産が、多かれ少なかれ生み出された「時代」と「地域文化」を反映するものだからです。

確かに、優れた文化芸術作品には時代や地域文化を超えた「普遍的な要素」も含まれています。ですから、普遍的な面を多く内包した作品は、時空を超えて愛され称賛されるわけです。しかし、そうした作品であっても、それらもまた時代や地域文化の「衣(ころも)」を纏っています。たとえ、それが古代の女神像であり裸体の彫刻であったとしても、実は彼女もまたそうした「衣」を纏っているのです。

この現実を時代や文化による「限定」とみるか「豊かさ」とみるかは、受け止める側である鑑賞者の「教養(広い意味での)」と「精神の自由度」にかかっているのではないでしょうか。

ですから、「ラムちゃん」たちが繰り広げる物語は、最早「古典」となっているのです。

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