「生きやすさ」とはなんなんだろうか
この「生きやすさ」ってなんなんでしょう。
「生きにくいとか言われると余計生きにくくなるじゃん」って人もいます。
まあ気持ちはわからないでもないです。
でもね、突然、周囲の人に自殺されるよりは表現してくれた方が、ずっといいです。
なんで社会的な地位のある「正社員」「勝ち組」の人たちが辛そうなんだろう?
社会がバグっているのでは?と思ってました。
マレーシア人に「生きづらい人がいる」話をしても「なんで??」と聞かれるばかりです。
これはなんでだろう?
DNAが違うから?
気候や地理的条件が違うから?
宗教が影響してる?
それもあるかもしれません。
この状態に日本もなればいいのになーと常々思うのですが、何が足りないのか。お金だけの問題だとしたら、東南アジアの人はなぜ幸福度が(各種調査)で高いのか?
お金以外の「生きやすさ」なら変えられるのでは?
けれども、各国に移住した日本人たちもこんな笑顔を見せるってことは、おそらくですが、それらの国には、お金以外にも「生きやすい何か」があるんでは?
なぜなら、日本人が海外に住むには見えない苦労(ビザがいつまで取れるのかとか、物価高とか、言葉の問題とか、各種の保障がないことなど)がたくさんあるはずだから。どんな人にも外からは見えない苦労があります。
その辺の要素を差引きして、この笑顔なのは、なんでかなーと。
最近大学院で学んだ「学び」の定義は、「変化を伴うこと」「時間をかけること」でした。
つまり「今、何かが足りない」と思っている人は私を含め、学ぶことで変われるよね。変わらなければ、それは学びではないのです。
「変化」によって、社会がいい方向に変わったらいいよね。そんな変化をまだまだ諦めたくないと思います。
※本記事は有料メルマガ『東南アジアここだけのお話【まぐまぐ版】』2023年2月9日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。
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