健康社会学者が激怒。聴覚障害児童の「命の価値」を軽んじる日本

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聴覚に障害のあった児童が事故で亡くなり「逸失利益」を争った民事訴訟で、大阪地裁は「すべての労働者の平均賃金の85%」を元に賠償額を算定すると言い渡しました。この判決に「裁判官が人の可能性を否定している」と憤るのは、健康社会学者の河合薫さんです。今回のメルマガ『デキる男は尻がイイ-河合薫の『社会の窓』』では、「命の価値」と言われる「逸失利益」を障害の有無で算定するのは時代に逆行していると批判。障害者への「合理的配慮」を社会の問題と考え取り組むアメリカの例をあげ、法律はできても実質的な差別が続く日本のあり方に疑問の声をあげています。

プロフィール河合薫かわい・かおる
健康社会学者(Ph.D.,保健学)、気象予報士。東京大学大学院医学系研究科博士課程修了(Ph.D)。ANA国際線CAを経たのち、気象予報士として「ニュースステーション」などに出演。2007年に博士号(Ph.D)取得後は、産業ストレスを専門に調査研究を進めている。主な著書に、同メルマガの連載を元にした『他人をバカにしたがる男たち』(日経プレミアムシリーズ)など多数。

裁判官が「人の可能性を否定」した判決。命の価値とは何なのか?

5年前、聴覚に障害があった女の子(当時11歳)が重機にはねられ死亡し、両親が運転手らに損害賠償を求めた裁判で、大阪地裁は、女の子が将来得るはずだった収入(逸失利益)について、「すべての労働者の85%」とする判決を言い渡しました。

今回の裁判の焦点だった「逸失利益」は、損害賠償額を算出する柱の一つです。交通事故などで亡くなったり、重い障害を負ったりした人の「命の価値」にも例えられます。そして、今回。聴覚に障害があった女の子の「命の価値」は、「全労働者平均の85%」だと判決が下されたのです。

これまでの裁判でも、障害者のそれは健常者よりも低く認定されてきました。2021年、名古屋地裁は交通事故で亡くなった聴覚障害のある国立大1年の男性(18)の「命の価値」を、大卒男性の平均年収の9割が相当と判断。判決は「聴覚障害がある以上、職業選択の幅に一定の制約があった」としつつも、同じ大学の出身者が大企業などに就職していることや、IT機器の発達で就労環境の整備が期待されることなどを考慮したとされています。

また、高校時代の交通事故で重い障害を負った全盲の女性の民事裁判では、2審で広島高裁が21年に「潜在的な稼働能力を発揮して健常者と同様の賃金条件で就労する可能性が相当あった」と指摘。全労働者の平均年収の7割を基礎に逸失利益を算出した1審判決を変更し、平均年収の8割に増額しました。過去には「命の価値」をゼロとする判決もありましたから、どちらの裁判も「時代の流れに即している」との評価もあります。

しかし、なぜ、「障害がある」というだけで、命の価値が低く見積もられてしまうのか。「人」には無限大の可能性があるのに、なぜ「障害者」というだけでその可能性が信じてもらえないのか。私は合点がいかないのです。

その「人」ならではの可能性を見せてくれたのが、まさに冒頭の女の子です。女の子は生まれた時に医師から「言葉を話すのは難しいだろう」と言われたのに、人前で堂々と話せるようになりました。彼女は聴覚支援学校に通い、日々努力した。彼女は「自分の可能性」を決してあきらめませんでした。…なのに裁判官は「人の可能性を否定した」のです。

そもそも「障害者」という存在は、社会が生み出したものです。「生産性」という言葉が、人の労働力と天秤にかけられるようになったことに起因しています。労働のスタンダードが「バリバリ元気に働ける人」である以上、誰もが「障害者」になりうるわけです。

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