健康社会学者が激怒。聴覚障害児童の「命の価値」を軽んじる日本

 

高齢者、病を患った人、働きながら介護している人、働きながら育児をする人も、生産性を合理的に高める社会である限り、みな「障害者」です。労働能力が低いと決めつける=差別がまかり通る社会に、どんな未来があるのか?判決に一定の理解を示す声もありますが、私には「時代に逆行している」としか思えませんでした。

いったい、どこまで社会を効率化する必要があるのか?普通とは何なのか?健常者と障害者の違いは何か?裁判所には「社会はこうあるべき」と判断をして欲しかったです。IT技術が日進月歩してるからこそ、「障害者だから」という偏見はなくすべきというメッセージを示して欲しかったと、残念でなりません。

2016年4月に施行された改正障害者雇用促進法では、企業に「合理的配慮」の義務化を明記しましたが、「差別の禁止」は明記されていません。

そもそも「合理的配慮」は、1990年に米国で制定された連邦法ADAの中核にある概念で「ここを配慮してくれれば、ちゃんと働けるよ」という考え方です。米国では徹底して合理的配慮を義務にしているので、配慮にかかる費用が企業を倒産させるほどのものであることが証明されない限り、免除されません。

同時に、政府は企業の負担を減らすために、企業向けの障害者雇用に関する無料コンサルティングサービスに加え、修士号、博士号を持つ専門のコンサルタントが企業に出向き相談に乗るなどサポートを徹底しています。「障害者にとっての不合理」を個人ではなく「社会」の問題と考え、「自立」と「共存」を当然とする考え方を、政府が主導する形で、社会に根付かせているのです。

先日、引退を表明した国枝慎吾さんは、連日満員の観客で沸いた2012年のロンドンパラリンピックのあと、こう話しています。

「ボクの願いはたった1つなのです。この競技を1つのスポーツ競技として見て欲しい。パラリンピックを純粋にスポーツだと評価し、楽しんでくれるお客さんで競技場を埋め尽くしたい。ロンドンパラリンピックは、ファンが純粋にスポーツを楽しむ感覚で観ていたからこそ大成功を収めた。ボクが金メダルを取っても、日本ではテニス選手として評価されるんじゃなくて、障害者が車椅子テニスをしてまで前向きに頑張っているのが偉い、感動すると言われてしまう。どこか同情の対象なんですね」

同情も差別です。日本人はどこまで「差別」し続けるのでしょうか?みなさんのご意見、お聞かせください。

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米国育ち、ANA国際線CA、「ニュースステーション」初代気象予報士、その後一念発起し、東大大学院に進学し博士号を取得(健康社会学者 Ph.D)という異色のキャリアを重ねたから書ける“とっておきの情報”をアナタだけにお教えします。
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