個人の「学力」が高いハズの日本で、なぜ経済が停滞しているのか?

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若い人たちが海外に出稼ぎに行ってしまうほど相対的に貧しくなったわが国。国力の源でもある「学力」は、いまでもOECDのPISA(学習到達度調査)ランキングで上位に位置しているのに、なぜ経済は低迷を続けているのでしょうか。今回のメルマガ『東南アジアここだけのお話【まぐまぐ版】』では、マレーシアに11年以上滞在する文筆家で編集者の、のもときょうこさんが、PISAの調査項目とグローバル社会で求められる能力がマッチしていないとするレポートを紹介。日本や韓国など東アジアの国では、努力と勤勉さを大切にするため、数値になる「学力」は頑張れても、それが指標では「足りない」と指摘しています。

なぜ個人の「学力」が高いハズの日本で、長年経済が停滞しているのだろうか

「日本の学校の学力は高い」──よく聞く話です。その通りで、OECDの学力ランキングなどのデータを素直に読めば、日本は個人個人の中学・高校時点の「学力」は相変わらず、世界平均と比べて高いのです。なのに、なぜ長いこと経済成長ができないのでしょうか。

特に欧米式の米国式・カナダ式にいく日本人には「レベルが低い」と不満を持つ方が少なくありません。カリキュラムの内容が違うために、「*年生なのに、そんなことも教えないのか」と不安になってしまうのです。しかし国全体で見たときに、その差はどうでしょうか。この数値の乖離が、何を意味するかをよく考える時期に来てると思います。

PISAランキングに意味がなくなりつつある

データが間違っているのか。それとも、「学力」が経済にとって無意味なのか。「学力」と経済に実は相関関係はないのか。それとも別のファクターがあって低迷しているのか。

「高いレベルの教育」が必要、とよく言われます。でもそれは何のためでしょうか?日本の教育の目指すところは「経済的に役立つ人」であるように見えます。ところが、社会に(少なくとも経済的に)インパクトも与えてないとしたら、その教育に意味はあるのでしょうか?

「子どもが教育を選ぶ時代へ」でPISAランキングなどの国際学力テストはもはや時代遅れでは?という仮説を書きました。その後、大学院で、OECDの「PISAランキング」などが、なぜ「計算」「読み書き」に焦点を当てているのかとその弱点について学びました。

1つ目が、「そもそも測れない能力が増えてきた」ことです。思考力や決断力を数値化して比較するのは、難しいため、単純比較できるものが、読み書きと算数のリテラシーのみになってしまったのです。例えば、世界銀行が出した『世界開発報告書2018』です。

正式な教育やその他の学習の機会には多くの目標がありますが、識字能力、計算能力、および推論の通常の評価によって把握できるのはそのうちのいくつかだけです。教育者はまた、学習者が高次の認知スキルを身につけられるよう支援することも目指しています。これには、評価では把握するのが難しいもの(創造性など)も含まれます。人生における成功は、持続性、回復力、チームワークなどの社会的感情的および非認知的スキルにも依存します。
World Bank. (2018). Overview: Learning to realize education’s promise. In The World Development Report 2018: LEARNING to Realize Education’s Promise.)

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