同じ「儒教国」の日本も似た側面があると思います。「学力テスト」によって測るのは、従来からの「読み書き算盤」に近い能力だけで、その能力に長けた人材だけではもう「足りない」ことに気づかないとなりません。
でもそれ以外の「グローバル・コンピテンシー」などのグローバル世界で生きていくための能力は、実は数値化して測るのが難しいんです。だからいくら真面目に頑張って受験勉強しても、経済が一向に上向かないのです。Reimers, F. (2017, August 03)の資料を読んでみましょう。
これらのテーマについて、国際機関においてもコンセンサスを得ることは困難であった。PISA(生徒の学習到達度調査)がこれまで識字、数学、科学といった分野に焦点を当て、公民やグローバル・シチズンシップといった分野に焦点を当てなかったこと、多国間・二国間銀行がカリキュラム内容の問題に取り組むことが少なく、民主化を促進するための教育事業に資金提供を行うことが少なかったのはおそらくこのためで、UNESCOなどの機関が人権教育のために創設されているにもかかわらず、世界各地でこれを進めることが困難だったのだ。
OECDはここ数年、PISA評価にグローバル・コンピテンシーの次元を追加する取り組みを行っているが、そのメリットやアプローチについて政府間でコンセンサスを得ることは困難で、評価に含まれるグローバル・コンピテンシーの次元が市民的次元を含むのか、単に経済競争力に関わる次元なのかはまだ不明である。
ほとんどの国のカリキュラムの枠組みが、言語、数学、科学の基本的なリテラシーに焦点を当てているのは、間違いなくこのためである。
(Reimers, F. (2017, August 03). Rediscovering the cosmopolitan moral purpose of education.)
もう1つはPISAランキングをOECDが出し続ける本来の意味が知られていないこともあると思います。これを出し続けているのは、いまだに基本的な教育を受けられない子どもが(特にサハラ以南の南アフリカなど)多い国があるためです。女子の就学率が極端に低い国や、子どもを就学させられない家庭が多い国を調査するのが目的です。
自国の名誉を争って戦うことに大きな意味はないのでしょう。中国政府はおそらく加熱化する民間の受験競争の無意味さに気づいて「塾禁止」を打ち出したのでしょう。日本の文科省も本音では塾を禁止にしたいけど、そんなことは自由主義の国ではできません。
私は、欧米の大学が増え続けるアジア系に対して最近冷淡なのは、こういった理由があるのでは、と考えています。皆さんの意見も教えてください。
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