東大名誉教授が告発。津波で命を奪い、多くの人々の故郷をも奪った「真犯人」

 

内閣府防災担当を使い福島県沖の津波地震を除かせた原子力ムラ

内閣府防災担当は、中央防災会議の2004年2月の会合で、「地震防災対策の対象とするのは歴史上繰り返し起こった地震」という方針を打ち出した。

日本海溝沿いで繰り返し起こったといえば、明治三陸地震、宮城県沖地震、三陸町北部の地震の三つである。

このうち、高い津波を起こすのは北海道から宮城県までを襲った明治三陸地震だ。このため、事務局は津波対策をすべき地域として、明治三陸地震を選び、委員の間に反対意見があったにもかかわらず、押し切った。

“原子力ムラ”が内閣府防災担当を使って、国の地震防災計画から福島県沖の津波地震を除かせた、と島崎氏は推測する。

100年前に明治三陸津波地震が起こった。その場所でまた起こるから備えようというのだが、島崎氏は「間違っている」と断言する。

その場所の南の地域こそ、次に津波地震が起こる。この私の意見は無視された。そして実際、南の地域の人々が犠牲となった。想定の2倍を超える高さの津波に襲われた地域で死者の7割が亡くなっている。政府の委員会において「備えなくても良い」とされた津波に襲われて人々は大切な命を失ったのだ。

津波の高さが最も高かったのは、岩手県北部の久慈市から岩手県南部の大船渡市までだ。しかし、死者の7割は、それより南の地域に偏っている。宮城県や福島県の海岸では想定よりはるかに高い津波に襲われて、多くの犠牲者が出た。

長期評価を無視せずに津波対策を進めていけば、犠牲者の多くを救うことができた。中央防災会議がそうすれば、東京電力も津波対策を進めざるを得なかったはずで、福島第一原発の事故も防げたのではないか。そのように、島崎氏は主張する。

では、国は原発の津波地震対策をどう考えていたのだろうか。

阪神淡路大震災の後、原発の耐震性に対する心配の声が高まり、耐震基準の指針の改定が急務となった。しかし当時の原子力安全委員会が新指針を打ち出したのは2006年9月になってからで、ようやくそこに原発の津波対策が盛り込まれた。

これを受け、保安院は津波の影響を含めた原発の耐震性を見直すよう電力会社に指示し、その結果を2009年6月までに報告するよう電力会社に求めた。

このため、東京電力が子会社に津波の計算をさせたところ、福島第一原発では津波が最高15.7メートルとなる結果が出た。防潮堤を作って高さ15.7メートルの津波に備えるには4年の歳月がかかり、数百億円が必要だ。東京電力は津波対策を避けるため、この計算結果を秘密にした。

津波対策をすることなく最終報告を保安院に提出すべく、東電は土木学会に「長期評価」の妥当性についての研究を委託し、対策を先延ばしにした。2008年夏のことだ。

だが、このころには、産業技術総合研究所や大学のグループにより昔の地震を調べる研究が2005年から5年計画で進んでいた。そこから浮かび上がってきたのが、「貞観津波」だ。平安時代の中頃、西暦869年の大地震により、仙台の北にある多賀城が破壊され、城下の1,000人もの人々が津波で溺れ死んだことがわかった。

2002年の「長期評価」発表時には、貞観地震がどんな地震なのかがよくわからなかったため、大きな宿題として残されていたという。貞観地震の後、江戸時代まで東北地方では大地震の記録が残されていない。

貞観地震について東電は「被害がなかった」として保安院への中間報告でもふれていなかったが、2009年6月に開かれた保安院の委員会では「過去に貞観地震というでかいものが来たことは分かっているのに、なぜ何も書いていないのか」と批判の声が上がった。

2010年4月から「長期評価」第二版の議論がはじまった。むろん、貞観地震をいかに警告するかが中心になった。だが、それを妨害する動きがあった。東電と地震本部事務局との秘密会合である。

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