秘密会合さえなければ救われていた多数の津波犠牲者
2011年1月26日の長期評価部会に提出された「長期評価」第二版の原案では貞観地震について次のように書かれていた。
宮城県沖南部から福島県中部にかけての沿岸で、巨大津波による津波堆積物が約450~800年程度の間隔で堆積しており、そのうちの1つが869年の地震(貞観地震)によるものとして確認された。貞観地震以後の津波堆積物も発見されており、西暦1500年頃と推定される津波堆積物が貞観地震のものと同様に広い範囲で分布していることが確認された。貞観地震以外の震源域は不明であるものの、869年貞観地震から現在まで1,000年以上、西暦1500年頃から現在まで約500年を経ており、巨大津波を伴う地震がいつ発生してもおかしくはない。
だが、2月23日の長期評価部会に提出された案では、最後の部分が次のように変わっていた。
巨大津波を伴う地震が発生する可能性があることに留意する必要がある。
「いつ発生してもおかしくない」から「可能性があることに留意」では、かなり強さが違う。2011年3月3日の秘密会合で、東京電力が貞観地震の警告を弱めるように要求し、事務局が書き換えたものだった。
「このようにしてできあがった第二版は発表されないまま、闇に葬られた。直後に3.11大津波が発生してご破算になったのだ」と島崎氏は綴っている。
つまり、東京電力の要求で「長期評価」第二版を一部書き換えるため発表を遅らせたがゆえに、3.11震災に間に合わず、「長期評価」第二版は世間の目にふれずじまいになったということだ。
島崎氏が知らなかった秘密会合は、地震本部事務局と東京電力・中部電力・清水建設によるものや、内閣府防災担当、保安院とのものなどがあり、2011年1月から3月までたびたび開かれていた。
本書を読む限り、地震本部の会合では、委員の反対があろうとも秘密会合で決まった通り、事務局が強引にことを運んでいたようである。島崎氏は最後にこう結んでいる。
東京電力と地震本部事務局とが秘密会合を開いたために、貞観地震の警告が間に合わなかった─。もし、秘密会合がなかったならば、と私は想像せずにいられない。
もし、3.11大津波の二日前の委員会の議題に「長期評価」第二版が入っていたならば、と。
もし、前日の朝刊で、陸の奥まで襲う津波への警告が伝えられていたならば、と。
もし、2011年3月9日に開かれた地震調査委員会に「長期評価」第二版が提出され、メディアに発表されていたら、前日の3月10日の朝刊には間に合い、大津波への警告が行き渡っていたのではないかという悔しさがにじみ出ている。
この本には東電幹部や地震学、防災の専門家、内閣府や文科省、原子力安全・保安院の官僚らが実名で登場する。もちろん島崎氏が知り得た範囲内ではあるにせよ、彼らがどう絡み合って、対策が歪められていったのかが推し測れる内容となっている。
政府の審議会や有識者会議のたぐいが、しょせん事務局の官僚によって議論を誘導されていくのは周知のことではある。原子力安全委員会や保安院が、あたかも電力会社に隷属するかのような機関であったことは、3.11震災後に明らかになったが、首相を議長とする中央防災会議ですら、似たようなものだったことがよくわかる。
原子力安全委員会や保安院は廃止され、担っていた仕事はいま、原子力規制委員会と原子力規制庁に移っている。しかし、それらもまた、独立性となると、すこぶる怪しい。意見交換会などという名目で事務局が電力会社と会合を重ね、老朽原発を60年をこえて運転できるようにする岸田政権の方針に、お墨付きを与えているのだ。
特権企業と国家権力の都合で防災計画が歪められ、そのために一般市民の命が脅かされる不条理を二度と許してはならない。
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