母親が報道機関に配布した「手記」に書かれていたこと
今回、第三者委員会の報告の後、被害側は記者会見を行っている。関西の方は夕方のニュースなどでも流れていただろうから観たという方もいるだろう。
この記者会見に先立って、各報道機関には、「母の手記」が配られている。
「手書き」の手記は、葛藤しつつもなんとか前を向こうとするお母さんの正直な心情が綴られている。
手記
私にとって、子どもが恐喝されいじめられた事件は、思い出したくもない出来事です。その数年後、心ならずもいじめ加害者を相手に裁判を起こすことになりましたが、事件自体を頭から追い払うようにして、子育てに専念してきました。
一方で夫は、神戸市教育委員会が事件をなかったものとして扱うことを許さず、西尾様ほか心ある方々に支えられながら、再検証を求め市議会に何度も陳情を繰り返してきました。陳情回数は13回、期間にして12年。ようやく設置された第三者委員会は「いじめはあった」としたうえで、このたび、以下のような事実を洗い出しました。
- 神戸市教育委員会は、当時の学校担当者に対し、いじめの隠ぺいを指示した
- いじめを認めず、それを理由とした転校を妨害した
- いじめをなかったことにするために、今に至るまで関係者が作成した書類を隠しつづけた
私自身は、これまで教育委員会の隠ぺい追及にいっさい関わりませんでした。夫が家でこの話題を口にしたときは、頼むからその話をやめてほしいと言ったときもありました。当時の校長や担任、関係者らの表情や態度を思い出すと、いまでも動悸が早くなり、総毛立ってしまう自分がいるからです。
「おかあさん、いじめられる子どもさんには理由というか、特徴があるんですよねぇ」
「おかあさん、僕の目にはお子さんがいじめられているという景色は映ってなかったです」
母親は弱く御しやすい存在だとして見くびられていたのでしょう、二転三転する矛盾だらけの言葉で「悪いのはお前ら親子だ」と洗脳すべく、数えきれないほど説教されました。
特に、転校妨害をうけた時期はひどかったです。いじめを理由とした転校を認めるな、と教育委員会から指示が出ていたのだとおもいます。あるときは同情の猫なで声を出し、あるときは恫喝し、あきらめさせようとしました。こちらは精神を病む一歩手前までいきました。ですが、子どもが受けた1年間にわたるいじめに比べればなんてことはない、と自分を励ましてふんばりました。
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