台湾人の心に残した深い傷。蒋介石が台湾の人々に「恨まれている」理由

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1947年2月28日、台北で発生した二二八事件。それ以来1987年に至るまで、長く自由を制限されてきた台湾国民ですが、そもそもなぜかような事件が起きてしまったのでしょうか。今回のメルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』では北朝鮮研究の第一人者であり、大学卒業時に台湾留学を考えていたという宮塚利雄さんが、台湾の人々が蜂起した背景と事件の概要を解説。さらに現地を訪れて知った「台湾人の蒋介石に対する思い」を紹介しています。

※本記事は有料メルマガ『宮塚利雄の朝鮮半島ゼミ「中朝国境から朝鮮半島を管見する!」』2023年5月29日号の一部抜粋です。ご興味をお持ちの方はぜひこの機会に初月無料のお試し購読をどうぞ。

2万8,000人が犠牲となった台湾・二二八事件と厳戒令と蒋介石

前項で五指山國軍示範公墓にある李登輝元総統の墓参りができなかったこと、その後の予定であった「台北二二八記念館」にも間に合わず、「台北二二八記念館」と「二二八国家紀念館」について簡単に紹介した。

実は、私はこの日のスケジュールでは李登輝元総統の墓参りよりも、この台北二二八記念館と二二八国家紀念館を見たかった。と言うのも、1970年に高崎経済大学を卒業後、中国に留学することを決め北京放送局の日本語放送の担当者に「中国に留学したいがどうしたらいいでしょうか?」と手紙を送ったら、「中国と日本は国交がないので留学生として迎え入れることはできません。国交が実現したらその時に留学することを期待しています」との内容の手紙をいただいた。中国に留学することを決め、北京放送局の日本語放送などで中国語取得のためにそれなりに中国語の勉強はしていただけに残念であった。

だけど、中国がだめなら台湾があるではないかと思い、今度は台湾について学び始めた。その時に当然のことながら「二二八事件」については何度も聞かされていたので、台湾に留学したらこの二二八事件について深く理解しようとしていたため、今回の台湾旅行ではいの一番に行きたいところであった。

今も覚えている二二八事件について紹介する。二二八事件の直接の引き金は、1947年2月27日、台北市内で闇たばこを売っていた台湾人女性が警察によって暴行されたことにあった。台湾人は抗議したが、憲兵隊に鎮圧された。すると政府に対する従来の不満が爆発し、台湾中で抵抗運動が発生した。これに対して、政府は中国大陸から到着した軍隊を待って徹底的に弾圧した。台湾人が政府(日本統治終了後に台湾を統治した国民党政府)に抱いた不満の根は深かった。

また、役人や軍人に対する幻滅もあった。台湾を“解放”したはずの軍隊は盗難や暴行を働いた。役所や教育機関、会社などの主要ポストは外省人(編集部注:中国大陸からの移住者。対して台湾出身者を内省人と呼ぶ)が独占し、汚職や腐敗が横行した。石炭やコメは中国大陸に搬出され、台湾経済は混乱した。

日本が敗戦し、台湾は中華民国の統治下に置かれた。これを祖国への復帰(光復)と考えられた。しかし、中華民国は日本に代わって台湾を支配したに過ぎなかった。しかも、その支配は、日本よりもはるかに残忍で非文明的であった。

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