“地方”の弊害。長野男女4人殺害事件の犯人を作り出してしまった社会の責任

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長野県の北東部に位置する中野市で5月25日に発生した、凄惨な殺人事件。なぜ31歳の青年はあのような凶行に走ってしまったのでしょうか。今回のメルマガ『ジャーナリスティックなやさしい未来』では、要支援者への学びの場を提供する「みんなの大学校」学長の引地達也さんが、その要因を分析。さらに誰もが安心できる社会を実現するために、我々日本社会に生きる人間がなすべきことを考察しています。

ナイフで襲いハーフライフル発砲。中野市男女4人殺害の報道から見えてきたこと

長野県中野市で警察官を含む男女4人が殺害される事件はあまりにも痛ましく言葉が見つからない。

メディアから伝えられる容疑者の人間像は雑駁であるものの、社会との接触では「苦手さ」を感じていたことがうかがえる。

その状況を「解消しよう」とする家族の気遣いも見られるものの、ソーシャル─ワークの介在はみられない。

存在していたであろう「歪み」のような状態をケアすることへは、一般的な反応として抵抗があったのだろう。

この抵抗感は地方にはよくあることで、だから、都会に比べ地域住民の結びつきが強い地域では、関係のこじれを修復し、対人の苦手さ克服するのは難しい。

私が関わった事例の中にも、外部とうまくやれず、周囲は自分を責めている意識になってしまう状況は少なくない。

それらの風景は、適切な対応をしなければ大きな不満や不安のエネルギーの塊になってしまうという想像は現実の未来と受け止め危機感をもって対応してきた。

だから、今回の事件を社会で共有し、二度と起こさない責任も考えていかなければならない。

地元の信濃毎日新聞が両親にインタビューし容疑者の周辺の状況は断片的に伝わってきたが、そこには容疑者が生まれ育つ中で、親の愛情と心配が当然としてありながら、普通とは違う状況に戸惑う様子も見て取れる。

容疑者が通院を拒んだことで、今に至る道筋がつながったような気がしてならない。

統合失調症やうつ病等の精神疾患により社会に出て仕事をするのは難しい場合、その人たちにとって必要なのは「休息」である。

疾患には休息、は当然であるがそこへの理解が浸透していない社会の問題がまずある。

さらに休息しても就労が難しければ、それは療養が必要な疾患であるから、自分の体調に合わせての過ごし方を考え、体調の許す範囲で活動をすればよいのである。

それが一般的なケア視点での対応で、急がずに待ち、対話を繰り返すことで社会とのつなぎ役になるのがソーシャルワーカーの役割である。

ソーシャルワーカーに頼れない場合は、自然にその役割を担える人に相談すればよいのだが、その状況でもなかったというから、家族だけで対応してしまったということなのだろう。

家族が対応する―。

これを当たり前と感じ、家族だけで克服したら美談になる考えこそが、私たちの社会で根付いてしまっている固定観念、場合によっては社会の圧力になる。

それは働かない、働けない人間が恥じ入らなければならない社会。

この社会が今回の容疑者を作り出した可能性がある。

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