「労働は光、遊びは影」という言葉を耳にしたメルマガ『j-fashion journal』の著者でファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さん。「今の日本ではその言葉は即していない」とし、これからの日本に求められる“発想の転換”について語っています。
遊びは光、労働は影
こんにちは。
「労働は光、遊びは影」という言葉があるそうです。人は労働を主体として生きているのであり、遊びは健全な労働のための気分転換のようなもの、という考え方です。
一方で、日本は衰退途上国と呼ばれているそうです。確かに経済的には失われた30年などと呼ばれています。
しかし、世界では日本の評判が上がっています。経済成長時代の日本人は嫌われていましたが、経済停滞期の日本人は好かれています。また、スポーツ、芸術、エンタメの分野等でも、日本は高く評価されています。これらは遊びに分類されるのかもしれません。
現在の日本は、遊びが光で労働は影と考えた方がしっくり来るのではないでしょうか。
現実に則して我々の発想を変えた方が良いのかもしれません。
1.経済と生活は関係ない?
バブル崩壊後、私たちはある事実に気がつきました。それは、私たちの生活は、株価と切り離されていることです。株で稼いでいるのはヘッジファンドなどの資金力のあるごく一部の機関だけです。
GDPとも関係ありません。政府や中央銀行はGDPを重視していますが、それはGDPが政府機関の評価の一つだからです。国の評価が下がっても、私たちの生活には関係ありません。
高度経済成長時代は、確かに私たちの仕事が、日本経済に直結しているというイメージがありました。しかし、バブル経済下では、私たちの仕事とか、気持ちとは関係ないところで、地価が上がり、株価は上がったのです。そして、怪しい人達が大儲けしました。
真面目に働いて、真面目に生活している人達は政府に脅されます。国の借金は国民の借金だそうです。
バブルで大儲けした人達はどこに行ったのでしょうか。株で儲けた投資家はどこにいるのでしょうか。株価を上げるための国の借金は、株で儲けた人が返済すべきではないのでしょうか。
どうやら、儲ける人達は儲けるだけで、真面目に働いて税金を取られる人達は、常に搾取されるという仕組みが出来上がっているようです。資本主義とか自由経済は資本を持っている人だけが対象で、私たちは封建社会の中に取り残されています。
私たちが期待されているのは労働力であり、豊かな生活ではありません。生かさず殺さず、年貢を納め続けることが期待されています。
日本が黒字国で少ない人口なら、配分も多くなるはずです。なぜ、税金の負担が多くなるのでしょう。赤字国なら、歳出を減らすべきです。なぜ、国民からの借金である国債を発行し続けるのでしょう。
これでは、国民のための政府ではなくて、政府のための国民です。多分、政治家や官僚はそう思っているのでしょう。
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