ここで登場するのが、今回拘束されたストレルコフです。彼は2014年4月~7月に起こったドネツク州「スラヴァンスクの戦い」で親ロシア派勢力を率いていました。これは、ウクライナ軍と、独立を目指す親ロシア派勢力の戦闘でした。FSBの大佐だったストレルコフは、「俺が戦争を始めた」と告白しています。曰く
私は戦争開始のトリガーを引きました。もし我々の分隊が国境を越えなければ、ハリコフ人民共和国またはオデッサのように最後は失敗していたでしょう。実際、現在まで続くこの戦争のはずみ車は私たちの部隊によって回されたのです。
そして、私はそこで起こっていることに個人的な責任を負っているのです。
出所:「Стрелков: Спусковой крючок войны нажал я」ノーヴァヤ・ガゼータ 2014年11月20日
この「国境を越えなければ」という部分が重要です。つまり、FSB大佐ストレルコフは、ロシアからウクライナ側に侵入し、スラヴャンスクの戦いを始めたのです。彼が、「独断」でこれを開始したとは考えられません。当然、クレムリンからの指示があったのでしょう。
というわけで、ここまでをまとめると、
・クレムリンの指示により、FSBの大佐ストレルコフなどが、ドネツク、ドネツクの親ロシア派を指揮して独立させた
・ウクライナ政府は当然これに反対で、内戦が勃発した
・結果、ウクライナ軍が、ルガンスク、ドネツクで残虐行為をした
こういう流れになっています。
繰り返しますが、私はウクライナ軍がルガンスク、ドネツクでしたことを容認しません。しかし、因果関係を追っていくと、「ロシアが、ルガンスク、ドネツクの親ロシア派に独立宣言させたこと」が悲劇の主な原因なのです。
ウクライナがあっさりルガンスク、ドネツク人民共和国の独立を認めるはずはありません。それは、ロシアがチェチェン共和国の独立を認めなかったのと同じです。
というわけで、「親プーチン派」の主なロジックである「残虐なウクライナ軍」。こういう主張をする人には、「そもそも、その悲劇は、ロシアがルガンスク、ドネツクに独立宣言させたから起こったんじゃないの?」と質問してみてください。
(無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』2023年7月22日号より一部抜粋)
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