「安倍国葬」で内閣支持率アップを狙った岸田の失敗
安倍晋三元首相の銃殺事件の直後、なぜ岸田文雄首相があれほど急いで国葬を執り行うという決定を下したのかは今なお謎だが、推測するに、それまで何につけても「優柔不断」「何をしたいのか分からない」と言われてきた彼が、元首相の銃殺という戦後の日本では起きたことのない事件の衝撃と、現場にすぐさま設けられた弔問所に市民が列をなして花を捧げる光景への感動とがないまぜになる中で、「これだ!」と。「この国民の気持ちの昂りを上手く掬い取って内閣支持率のアップに繋げるには、国葬という一大イベントを打つのが一番だ」と考えたのだろう。
政権発足から9カ月が経っていたが、その間に「何をしたいのか分からない」と言われ続けた大きな原因は、岸田がリベラル本流の「宏池会」の看板を背負っていて、安倍のチンピラ右翼政治の鬱陶しさを吹き払うような新機軸を打ち出してくれるのではないかという内外野からの淡い期待がある一方、彼自身は安倍内閣で長く外相を務め、安倍の支持を得て首相になったことから安倍路線の同伴者・継承者という一面もあって、その板挟みになっていた事情がある。そこを吹っ切って、「よーし、こうなったら腹を括って安倍追随路線を採り、行けるところまで行ってやろう」という、毒を喰らわば皿までもといった心境に至ったのではないだろうか。
しかし、事はなかなか思惑通りには進まない。まず第1に、銃撃犯が統一教会に人生を破壊された信者2世であったことから、久しく忘れられていた統一教会と自民党、とりわけ岸信介に始まる岸・安倍一家3代との禍々しい関係が大きくクローズアップされるという思いもかけない展開となり、国葬を10日後に控えた毎日新聞の世論調査では内閣支持が29%、不支持が64%という危険水域に至った。これでは安倍の業績を偲ぶどころではなくなり、統一教会との癒着の点検に追われる羽目となった。
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