なぜ、いま日本はここまで教員の数が足りていないのか?

Teacher teaching kids in classroom at school
 

本題の「教員不足」の話に戻る。何やら収納テク向上やスペース増設の方向を中心に着々と進んでいる。本来はシンプルに、必要以上に肥大化した大量の服(=業務)の方を減らせばいいだけの話である。こちらももちろん進めてくれているのはわかるが「数不足」の問題解消の観点からは、ずれている。つまりは、「教員不足をどうするか」という問題設定自体が誤っているように思える次第である。

ごく単純に考えて、授業総時数が多いから、空きコマがないのである。一人あたり週25コマの持ちコマになる理由は、低学年であっても毎日5時間授業だからである。当然、毎日6時間で30コマ近くある高学年の方に、僅かな人数の専科教員を当てざるを得ない(ただでさえ高学年担任は、行事のような授業時間以外の業務を中心となって行うことが多いのである)。低学年担任は朝から放課後まで全く空きなしの25コマというのが珍しくない。

そしてこれは、現場の工夫ではどうにもできないところであり、いわゆるお上の仕事である。かつての「ゆとり批判」があるため、なかなか踏み切れないところなのかもしれない。本来、ゆとりの時代だろうがそうでなかろうが、その内容がきちんと身に付いていたのかだけが本質的な問題のはずである(建前上、学習指導要領の定めたものが国民全員身に付いているという前提であるが、実際は…)。結局量より質だと思うのだが、「減らすと何か心配」というのが先に来るようである。何でも、増やす方が好きで安心なようである。

単純に、余計な業務量が多いから、帰れないのである。業務量自体を、現有数の職員で足りるまで減らせば解決する話である。それぞれに角が立つので具体例は取りあげないが、学校には「それは本来やらなくていい業務」というので溢れている。

「子どものためになる」「あるといい」だけが理由のものは疑う必要がある(本来、学校業務内に子どものためにならないものが存在するはずがない)。それは服に例えるなら「必要ではないけどおしゃれ」あるいは「時代遅れでもまだ使える」という類のものである。「ないよりある方がいい」という方向の発想が無駄なゴミを生み出し続ける。

 

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