増税クソメガネの陰謀。あのドリル優子をなぜか「選対委員長」に抜擢した“魂胆”

 

「茂木の野望」に楔を打ち込んだ首相の人事

その二人が亡くなったことは、茂木氏にとって有利に働くはずだった。党のカネと公認権を握る幹事長の特権をフルに活用し、派内をまとめあげて、総理の座に邁進できる環境が整うかと思われた。そこに楔を打ち込んだのが、党4役に小渕氏を入れる岸田首相の人事だった。

茂木氏については幹事長交代を求める声も党内で出ていた。おそらく、公明党とのパイプが太い菅元首相や二階元幹事長らの周辺からだろう。しかし、麻生副総裁の意向を尊重し、岸田首相は茂木氏を幹事長に据え置いた。むろん、岸田首相には、来秋の総裁選への茂木氏の出馬を封じるという思惑があっただろう。

だがそれだけではない。党4役のうち二つのポストを同じ派閥の茂木氏と小渕氏に担わせることにより、茂木派のなかに、青木氏亡き後も小渕支持勢力を温存することを狙ったのだ。それは、派内をまとめようとする茂木氏の力を削ぐことになる。

小渕優子氏には、党の長老たちをして、庇護したいと思わせる雰囲気がある。選対委員長に就任した後、9月13日の記者会見で「政治とカネ」の問題を問われ、「心に反省を持ち、決して忘れることのない傷として歩みを進めていきたい」と涙声で語った。将来の総理候補としては「弱さ」の際立つシーンだったが、むしろこれこそが小渕優子という政治家の真骨頂かもしれない。

小渕氏の党4役入りを強く後押ししたのが、青木氏を早大弁論部以来の先輩として慕ってきた森喜朗元首相だ。

二人にとって、小渕氏の父、小渕恵三元首相は特別な意味を持つ人である。2000年4月2日、小渕首相が脳梗塞で倒れ昏睡状態に陥ると、官房長官だった青木氏が総理の意思だとして首相臨時代理となり、野中広務氏、亀井静香氏、村上正邦氏、森喜朗氏との密室談合で、森氏を首相に指名した。

父の死後、小渕優子氏はつとめていたTBSを退社し、2000年6月の衆院選挙に出馬し、当選した。もちろん、父が政治団体に残した相続税不要の潤沢な資金を受け継ぎ、恵まれたスタートだったが、有力支援者や秘書にカネの出し入れを任せっぱなしにした甘さが、2014年に発覚した政治資金事件につながった。

義理人情に厚い青木氏は、小渕元首相への思いをその愛娘に重ね、派閥のなかで大切に守り育ててきた。そのかいあって経産相までのぼりつめ、小渕派としての平成研の復活も遠くないと思われた矢先の事件発覚だった。経産相を辞任し、その後、雌伏して時の至るを待っていた小渕氏を青木氏は静かに見守ってきた。そして、森氏に「小渕優子を頼む」と言い残してこの世を去った。

葬儀のさい、森氏は「青木さんの心残りは、小渕さんのお嬢さんのことと思います。あなたの夢、希望が叶うように、最大限の努力をする」と遺影に語りかけた。青木氏に代わり小渕氏の“後見人”となった森氏が、岸田首相に小渕氏の要職起用を働きかけたのは言うまでもない。

岸田首相もまた、小渕氏に目をかけてきた。女性の登用で政権浮揚をはかりたいからでもある。岸田首相は、森・青木コンビと定期的に会食していたが、そこには必ず小渕氏が同席していた。今年3月に韓国の尹錫悦大統領と菅義偉前首相が都内で会談したさい、小渕氏を同席させたのも岸田首相の要請によるものだった。

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