ジャニー喜多川の鬼畜の所業が見過ごされてきた背景
また、次に面白かったのは、騒いでいた一部の記者(尾形聡彦さんや望月衣塑子さん)のアンチと思われる人たちからの攻撃が多かったことです。しかし、私は別に騒いでいた特定の記者を擁護するつもりで発言したわけではありませんし、実際そのような内容にはなっていません。勝手に勘違いして妄想を膨らませた上で見当違いの攻撃も散見されました。極めつけは、「歴史改竄はやめてください」などと言ってくるものもありましたが、一体全体、私のポストのどこをどう見れば歴史改竄などという解釈ができるのでしょうか(笑)。
望月さんについては、菅義偉官房長官時代に、官房長官記者会見で菅さんに食らいつく望月さんの姿を見て、久々に頼もしい記者が出現したと感じていました。しかしその後、彼女の著作をもとにした映画やネットフリックスのドラマがヒットし、財務省の公文書改竄事件で自死された赤木俊夫さんの妻雅子さんに対する接し方やその他の言動を見ていると、記者というよりも活動家に転じたような印象を受けています。もちろん、それはそれで望月さんの生き方なのでとやかく言うつもりはありませんが、彼女を真のジャーナリストと呼べるかどうかについては、私の中で疑問符が付いています。
話を戻すと、先述のポストは、誰か特定の人を擁護するためのポストではなく、私がこうあるべきと考える「本来のジャーナリスト像」についての私見を述べただけです。「敢えて挑発的に」意見したのは、二つ目のポストで言ったことが理由です。そもそも、ジャニー喜多川の鬼畜の所業が長年見過ごされてきたことには、週刊文春を除く日本のメディアがこの問題を報じてこなかったという背景があります。もはやこの国にはまともなジャーナリストがいない、あるいは本来のジャーナリズムが育っていない、ということです。本件のみならず、日本のメディアがまともに報じなかった伊藤詩織さんの件を詳細に報じたのもやはりBBCでした。
最近、どんな記者会見を見ていても、集まってくる記者達は押しなべておとなしく従順で、気骨のある真性ジャーナリストのような人を見かけることはほとんどなくなりました(そういう人はフリーのジャーナリストにはまだ残っていますが、今回のNGリストでもわかるように、大体最初から締め出されてしまっています)。ですから、ジャーナリストの矜持や使命感とは本来何か、ということを問いかけるつもりのポストでした。
毎日新聞の故・岸井成格さんは、若かりし頃には、当時の佐藤栄作首相の発言に反発して記者会見をボイコットし、晩年にも安倍政権に厳しい発言を連発していました。権力からさまざまな圧力や嫌がらせを受けながらも、一切媚びることも屈することもなく、まさにジャーナリストの矜持や気骨を感じる人でした。
岸井さんが亡くなってからは、遂に大手メディアからその手のタイプの人は完全にいなくなってしまったように思います。中村史郎社長に代わってからの朝日新聞では、記者に対する言論統制が厳しくなる一方だという話も漏れ伝わってきますが、それならばむしろ廃業した方がよいのではないでしょうか。言論統制された記事など誰も読みたいとは思いません。他の大手メディアも、内情は似たようなものでしょう。
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