(──何事もない普通の日常こそが奇跡なんだと。)
(村上)
同時にもう一つの奇跡が私の中で起きました。
あまりにもたくさん「ありがとう」を繰り返すうちに、何に対して「ありがとう」を言っているのか分からなくなって、足元の1本1本の草、目の前を飛んでいる虫、目に見えない微生物、自分の身の回りのすべての命に「ありがとう」を言わずにはいられなくなってきたんです。あれから14年経ちますけど、いまだにその気持ちは変わりませんね。
(──まさに「ありがとう」が生んだ奇跡ですね。)
(村上)
鬱病で過ごした5年間はどん底だと思っていましたけど、息子を亡くした時に、どん底にはさらに底があることが分かりました。甘かったな、もっと深い底ってあるんだなって。
でも、私以上に辛かったのは妻だったと思います。鬱の私のケア、私と彼女の両親との仲介、農場の経営不振、息子の死。精神的な苦痛が大き過ぎて、一時は病に伏せっていたこともありました。
ある時2人で話したんです。こんな自分たちを亡くなった大地が見て喜ぶだろうかって。この先初めて出会う方に、「あなたたちはいつも楽しそうで、何も悩みがなさそうだね」って言われるようになったら俺たちは本物だ。そう言われるまで、そういうふうに装ってみようって。
(──お2人で悩みがないかのように振る舞おうと。)
(村上)
おかげさまでいまでは2人とも、見違えるほど元気で明るくなりました。
それまでずっと“農”のことを考え続けていましたけど、「ありがとう」を言い続けて教えてもらったことは、すべて“脳”のことでした。つまり、自分が幸せと認識したらそれは幸せだし、不幸と認識したら不幸。すべてを決めているのは自分の脳だったんですね。
(本記事は月刊『致知』2019年4月号 特集「運と徳」から一部抜粋・編集したものです)
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