アニメ化でさらに話題の『葬送のフリーレン』が少年漫画だと言い切れる理由

 

■超越的な視点

このように、人間から見て長命のエルフを主人公におき、そのエルフから眺める人間社会という形で、この作品は私たち人間の営みを異化している。

その視点は、雑に言えば「神の視点」に似ているだろう。勇者が生き、冒険し、そしてめでたしめでたしで終わるはずの物語は、しかしその世界を眺め続ける神の視点によって、その続きが促される。人々は平和を享受し、勇者も徐々に老い、やがては人々の記憶の中から薄れ去っていく。

本作の二つ目のポイントは、そこにある物悲しさである。エルフは、仲よくなった人間の死を看取る。それも一人は二人でなく、出合った人間の大半の死と遭遇することになる。

本作が少年漫画でありながら、独特な存在感を持っているのは、この作品が基本的に「死と別れ」をテーマにしていることだ。死んでいく人間たち、薄れていく記憶。人間個人の視点では決して捉えることができないその情景を、長命のエルフはいやおうなしに見てしまう。それは決して特別な出来事なのではない。エルフにとって、人間との別れはほとんど必然的に定められた出来事なのだ。

だから本作において、老いや死はことさら騒ぎ立てられたりはしない。フリーレンは、そういうものだと割り切っている。まさに神の視点だ。

でも、やっぱり彼女は神ではない。一人のエルフであり、たとえ彼女の寿命から見てたいした量の時間でないにしても、人間たちと同じ時間を過ごした存在なのである。

■未知の自分への旅

本作の三つ目のポイントは、悟り切っているはずのフリーレンが、しかし少しずつ変化していくことだ。あるいは、彼女自身が変化を欲して行動している点だ。

彼女はよく言う。「ヒンメルならそう言うだろうね」。ヒンメルとは、彼女が共に冒険をした勇者の名前だ。彼女は、頻繁に「おそらくヒンメルがいたらこう判断したであろう」という判断を下す。もちろん、そのヒンメルは彼女の脳内に構築されたバーチャルな存在でしかない。しかし、まさにそこがポイントなのだ。

彼女の脳は、冒険する前と後では明確に変化している。ヒンメルの精神(心の持ちよう)が、フリーレン自身の作為とは別に入り込んでいるのである。

よって本作では、エルフの視点が異化の起点として用いられてはいるが、しかしその視点もまた人間存在によって変質していく。それぞれがまったく異質なものであり、独立的に干渉しないもの(≒神の視点)として設定されているわけではない。人間との交わりによって、フリーレン自身にもどういう変化が訪れるのかわからないような「冒険」が待っているのである。

だから本作は、一周回ってやっぱり少年漫画なのだろう。そこには未知への冒険がたしかにある。ただし、たいへん大人好きのする少年漫画であることは間違いない。

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1980年生まれ。関西在住。ブロガー&文筆業。コンビニアドバイザー。2010年8月『Evernote「超」仕事術』執筆。2011年2月『Evernote「超」知的生産術』執筆。2011年5月『Facebook×Twitterで実践するセルフブランディング』執筆。2011年9月『クラウド時代のハイブリッド手帳術』執筆。2012年3月『シゴタノ!手帳術』執筆。2012年6月『Evernoteとアナログノートによる ハイブリッド発想術』執筆。2013年3月『ソーシャル時代のハイブリッド読書術』執筆。2013年12月『KDPではじめる セルフパブリッシング』執筆。2014年4月『BizArts』執筆。2014年5月『アリスの物語』執筆。2016年2月『ズボラな僕がEvernoteで情報の片付け達人になった理由』執筆。

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